居眠り狂志郎の遅読の薦め

未だ休読日に至らず

おれの期待 高見順

徹夜の仕事を終えて

外へおれが散歩に出ると

ほのぐらい街を

少年がひとり走っていた

ひとりで新聞を配達しているのだ

おれが少年だった頃から

新聞は少年が配達していた

昔のあの少年は今

なにを配達しているのだろう

ほのぐらいこの世間で

なにかをおれも配達しているつもりで

今日まで生きてきたのだが

人々の心になにかを配達するのが

おれの仕事なのだが


この少年のようにひたむきに

おれは何を配達しているだろうか


お早う、けなげな少年よ

君は確実に配達できるのだ

少年の君は

それを知らないで配達している

知らないから配達できるのか


配達できるときに配達しておくがいい

楽じゃない配達をしている君に

そんなことを言うのは残酷か

おれがそれを自分に言っては

おれはもうなにも配達できないみたいだ

おれもおれなりに配達をつづけたい

おれを待っていてくれる人々に


幸いその配達先は僅かだから

そうだ、おれはおれの心を配達しよう

 

 

そうだ、これを読んで思い出した。

まだ、小学生にして悪徳の道を転がり出していた私は、貧乏所帯の家計の手助けと改心の為にもここらあたりで新聞配達でもするかと思っていたことを。

 

しかし、それから数十年、今やすっかり新聞配達の少年を見なくなったが、現在では労働基準法に引っ掛かるのだろうか?

高度成長期といってもあの頃の日本人はまだまだ貧しかった。

木造建築に文化住宅、共同流しに共同便所。

勿論、給湯器もなければエアコンもない。

テレビは東芝の14型。

トイレット・ペーパーは便所紙、収納ケースは行李、ハンガーは衣紋掛けなどと言っていた時代。

夏は蚊帳を吊って冬には湯たんぽまで出て来る。

 台風が来れば雨戸を締め、出掛ける時は南京錠。

遊びといっても、チャンバラごっこに、おままごと。

メンコ、ビー玉、虫取り、隠れんぼ。

どいつもこいつも真黒に日焼けして膝はすり剥け、ランニングシャツで朝から晩まで駆け巡って疲れ知らず。

喉が渇くと井戸水やゲンゴロウとアメンボウを手でよけながら湧き水まで飲んでいた。

空き地は至る所にあり、以前は大工場の跡地だったんだろうか。

田圃に入りザリガニ、蛙、塩辛トンボを捕まえていたあの日。

スーパーやコンビニのない時代、市場で買い物を終え夕食の支度が出来た誰かのお母さんが、そのうち怒鳴る!

 

「いつまで遊んでいるの!」

 

で、子供たちは三々五々、散って行きながらさよならの挨拶を。

 

「蛙が鳴くからか~えろ」

 

後年、その場に行ってみると工場の跡地にはマンションが立ち並び、全ての田圃は埋め立てられ住宅が。

残像だけが脳裏を霞め、過ぎ去った日々と消えて行った人たちを心が追い求めていた。

嗚呼、素晴らしき30年代は遠くになりにけり。

 

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