居眠り狂志郎の遅読の薦め

未だ休読日に至らず

青空娘 源氏鶏太

 
源氏鶏太は自伝『我が文壇的自叙伝』の中でこのように書いている。
 
「ときどき私は、自分の作品で死後読まれる作品があるだろうか、と思ったりすることがある。まして、死んでしまえばそれまでであろう。それが大方の大衆小説作家の運命とわかっていて、ちょっと寂しい気がすることがある」
 
その源氏鶏太昭和35年の文壇長者番付では、松本清張に次ぐ2位というから現在では考えられないほどの売れっ子作家だったらしい。
しかし今日、奇しくも彼の予言は的中してしまったことになる。
例えば同時代の大衆小説の作家で獅子文六石坂洋次郎、そしてこの源氏鶏太などの作品は書店から姿を消してしまったといっても過言ではないが、それをどういうわけか復刻しているのがちくま文庫なのである。
 
私が記憶する限り、昭和の頃まではまだ書店の棚にはちらほら見受けられたような気もするが、寄る年波には敵わず絶版に追い遣られてしまった。
では、何故、彼等の小説は消えてしまったのか。
一読して解るのは、あまりにも大衆受けを狙い過ぎ、または映画化されるのを期待してストーリー展開を面白くさせるため、偶然の出会いを乱発させているところが却って作品として軽佻浮薄な印象を与えてしまっている感が否めない。
 
確かにこの本は、ヤキモキ、イライラさせる点では面白い。
昭和32年若尾文子主演で映画化されているそうだが、寧ろ、映画の方が価値が高いかも知れない。
有名な『青い山脈』にしたところでそうだが、原作を読んでみても特に感動などしない。
昭和30年代の前期は映画の全盛期で小説の映画化は隆盛を極め、多くの作品が映像化された源氏鶏太は経済的には潤った生活をしていたようだ。
 
ストーリー的にはごくごく単純な話しである。
昔、愛人に産ませた子供を祖父母の家に預けていたが、祖母の死をきっかけに息子は祖父と成長した娘を自宅に引き取ることから物語は始まるが、娘は本妻宅の家族全員から苛めに遭い、それにもめげず、産みの母を探し苦労の末に御対面となる絵に描いたようなハッピーエンド。
 
知人友人のあり得ない偶然の出会いの連続で物語は進行していくところが、ややナンセンスなように思う。
辛辣な批評になってしまったが、はっきり言えば小説としては、あまり戴けない。
しかし直木賞作家であることは付け加えておきたい。
以上、悪しからず。
 

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