愛に恋

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獅子文六の二つの昭和 牧村健一郎

 
獅子文六とは、あまりにも世代が違い過ぎるため、その作品を今日まで読む機会がなかったというのではなく出版業界が文六作品から手を引いたために読む機会を失ったといったほうが実情に合っている。
何故、読まれなくなったのか、そのあたりのことは私には分らない。
何度も書いているが近年、ちくま文庫から複数復刊され、いずれも読んでみたが、一言するとユーモア小説、または家庭小説という類いで純文学とは程遠く当時から文壇では彼の作品は軽ろんじられていた風潮があるらしい。
 
しかし最晩年には文化勲章も受賞していることからして小説の大家には違いない。
文学座の創設に関わり作品の多くが映画化、テレビドラマ化されて戦前、戦中、戦後と相当な人気作家だったことが伺われる。
 
生い立ちを見ると、父を子供時代に亡くしているらしいが、その父は福沢諭吉暗殺犯のグループに所属していたほど剛毅な人物だった。
幸い未遂に終わっているが、その後、父は福沢に師事したとある。
文六自身はフランス語を得意とし、フランス人の妻を貰っているが、早々に死別、その詳細は『娘と私』に詳しい。
 
演劇にはかなり深入りしたようで、何でも『無法松の一生』の原作に着目し世に送り出したのは文六本人だとか。
戦中は勝つためには何でもしようと思っていた文六だったが、GHQの戦犯容疑者のリストにその名前が載りそうになり心胆寒からしめた様子だ。
 
戦時中に書いた『海軍』が戦争犯罪人に該当するというわけで、大政翼賛会にも軍部にも一定の距離を置いていたが、この小説が当時、大反響を呼び、多くの若者が海軍を仕官、結果、有為な人材を死地に追い遣ったと解釈された。
内容は英雄譚となった特殊潜航艇で真珠湾攻撃に参加した九軍神のひとりをモデルとして扱ったもので、戦後、疎開していた文六を大いに苦しめた。
 
文士には公職追放はないが戦犯指名を受けると雑誌に作品を掲載できなくなる。
ところで、獅子文六という人はどのような人物だったのか。
著者はこのように書いている。
 
「欲望肯定論者の文六は金も色も名誉も、人間の欲をそのまま認め、笑いで包む。皮肉ることはあっても、間違っても説教はしない。文六は大のインテリの個人主義者であったが、通俗であることを厭わなかった」
 
また、かなりの健啖家とあるが、要は食いしん坊で鮎の塩焼きを一度に26尾も食べたとか。
しかし人物的にはどうも人付き合いは悪く文壇には殆ど友人がいない。
確かに志賀や谷崎などとの交流は聞いたことがない。
 
ところで文六には『自由学校』という小説があるが、昭和26年5月5日、松竹と大映が共に作品を映画化しこの日、同時に封切られた。
当時、映画館入場者が多かったため大映の役員がこの連休を『ゴールデン・ウィーク』と名付けたことが、その名の由来らしい。
 
ともあれ、この本は2009年の作品であるが作者が危惧する殆ど顧みられなくなっていた文六の作品がやっと脚光を浴びるときが来たというわけだ。
 

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