愛に恋

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泳ぎたくない川 愛川欽也

 
日本人にとって愛川欽也という人は最も親しまれた司会者だったと言っても過言ではない。
11PM』『なるほど!ザ・ワールド』『アド街ック天国』など長寿番組の顔として知られると共に俳優としても大いに活躍した人生だった。
 
芸能界には『9年会』なるものが存在するが、この本はおそらく昭和30年あたりまでの半自伝的性質のもので、生い立ちから戦時中の苦労話しなどが書かれているが、あまり両親の事に関しては詳しく語っていない。
父親は既婚者で生涯、実母とは婚姻しなかったようで、兄弟もなく思春期にはバンドマン、俳優の卵、またはストリップ小屋など転職を繰り返し戦後の混乱期は母と別に歩み、不良にこそならなかったが、あの時代特有の空気の中で育った一青年を表現したかったのだろうが、失礼ながら文章力はやや乏しいと言わざるを得ない。
 
各章を設けて書いたほうが今少し纏まりがあったように思うのだが。
具体的には、やや突っ込みが足りなかった点、勿体無い。
特に母親がどうなったかは語られず仕舞いだ。
しかし歴史上の人物と違って同時代を生きた人の思い出とあって、あの愛川欽也さんにも、こんな青春があったのかと思えば感慨もひとしお。
栄養不良で痩せていた愛川欽也を想像できないが、そんな時代を生きて来た一面を書き残したかったのか。
 
愛川欽也死去、少しでも供養になればという思いから読んでみた。
 

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春画にみる色恋の場所 白倉敬彦

 
江戸期という時代は現在のように住環境が整っていないためか、色恋に関しかなり抵抗感がなかったように思われる。
開けっ広げとまでは言わないが性風俗にはかなり寛容だ。
誘うのはいつも男とは限らず大店の女将などは奉公人などを捕まえては楽しんでいた。
 
春画は今で言うエロ本とはやや趣きを異にするようで、何かリアリティがないと言うかユーモラスな雰囲気を醸し出している。
当時は男性自身のことを「へのこ」または「まら」と言い女性器のことは「ぼぼ」と言った。
このパーツの描写はあくまでも誇大で誇張こそが絵の本質と言ってもよい。
人物の後ろには必ずといっていいほど、くずし文字で何やら書かれているが、これが読めれば尚、面白いと言うものだが。
 
しかし昔の人はありとあらゆる場所で事を行っている。
当然、夜分は電気もなく蝋燭とて貴重品なので闇夜の中で致す。
これでは相手の顔も見えまいに。
いろいろ面白いことが書いてある。
子供がこのように言う。
 
「とつさん、地震がゆって怖い」
「気づかいするな。鯰にいま、要石を差し込んでいる」
 
鯰にいま、要石を差し込んでいるか、上手い事を言うものだ!
湯上りの女と酒を呑んでいる男の場合は。
 
「湯ぼゝ酒まら」
 
ところで江戸の混浴というのは寛政三年に廃止されたとあるが、それでも依然、混浴は続いていた、これも寛政の改革の煽りであろうか。
正式名は「入込み湯」と言う。
 
本のタイトルとしてはこれが面白い。
 
『枕童児抜差万遍玉茎』
 
「まくらどうじぬきさしまんべんたまぐき」と読む。
しかし驚くのは夜鷹の料金、僅か二十四文、約600円らしい。
最後に作者の談としてこうある。
 
「大体、快楽を禁忌視することが間違いであって、人が快楽を求めて生きるのが本然である。日本人は、その快楽を是として認め、その追求を素直に生きたのだ。そして、それは当たり前のことで、我々は、その当たり前を忘れているだけだ」
 
さしずめ、江戸期の性感覚こそ正常と言うべきことなのか。
 

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千恵蔵一代 田山力哉

 
最近の人は多羅尾伴内なんて言っても殆どの人が知らないと思うのだが、では片岡千恵蔵と言えば誰のことやら名前と顔が一致するだろうか。
いくら大スターといっても明治生まれでは知る人ぞ知るとなってしまうのか。
俗に時代劇スターの七剣聖と言われた華やかりし時代もあったのだが。
彼等とは世代も違い過ぎて私も仔細には経歴を存じ上げないが、興味があったので古本屋で見つけ次第、即購入と相成った。
 
私の知っている片岡千恵蔵とは東映オールキャストの忠臣蔵大岡越前の父役そして多羅尾伴内ぐらいか。
出自はもちろん、どのような生涯を送ったのか全く知らない。
何でも本書によると、生まれは、ある華族の御落胤だと言う説もあるらしいがDNA鑑定でもしないと判断つきかねるややこしい事情がありそうだ。
 
映画界入りは門閥制度の歌舞伎では出世しないというのが理由だが若かりし頃は相当な美男子だったとある。
もちろん、当時はサイレント時代。
あの独特の濁声はトーキーに移行する折り、マイクを通すとキンキンと響く金属製の声だったことから意図的に低く太い声にセーブした結果らしい。
 
とにかく私の印象では凄みがあって押しが強く重厚感ある役者というのが第一。
しかし舞踊の方は全くダメで、その点、舞うように太刀捌きを演じた市川右太衛門とはやや芸を異にする。
役者人生60余年の生涯で出演総数、実に322本。
凄い数ですね。
 
共演した女優も入江たか子山田五十鈴、轟夕紀子、宮城千賀子と言っても、私などは当然、その全盛期を知らないので彼女らの美貌が分らない。
没年は昭和58年3月31日、駆け付けた右太衛門はこう言った。
 
「ほんとうに麻雀ばかりやりおって、だからこんなことになるんや」
 
そう、千恵蔵は大の麻雀好きで出待ちの時間は専ら仲間と麻雀三昧。
逆に右太衛門は30分も待たされるとお冠。
しかし意外だったのは妻子とは別にお妾さんが居たようで、その女性にボーリング場、レストラン、ゲームセンターなどの総合施設を任せ、その名も『小牧ハイランド』。
当時、名古屋在住だった私は、或は近くに立ち寄ったことも何度かあったかも知れない。
 
片岡千恵蔵一代記ならずとも、往年の銀幕大スターの生涯というのは意外と知らないものだ。
 

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佐伯祐三の晩年 衝撃の真実 白矢勝一

本書は佐伯祐三の伝記本ではなく、歿後、佐伯と共にフランスで過ごした友人たちが佐伯の死をどう書き残したかを照合し、何が真実なのかを追及した眼科医の論文のような本になっている。
『衝撃の真実』なんていう陳腐なタイトルは嫌いだが、いったい佐伯祐三の晩年に何か謎でもあるのか?
あるとしたら、これは読まなければとつい触手が動いた。
主題はあくまでも晩年、つまり死の年、昭和3年6月21に頃から始まる。
証言者として採り上げられている人物は以下の8人。
夫人を除き全員が画家。
 
・山田新一
・大橋了介
・伊藤廉
・山口長男
・佐伯米子
・井原卯三郎
 
佐伯の死は第二次渡仏後のことだが、一か月に及ぶ取材旅行、雨に濡れながら街頭での写生など、かなり無理が祟った上の喀血でリュ・ド・ヴァンヴという所の宿で病臥することになったとあるが、第一の問題は病臥中に脱走したのは正確に何日の何時頃かと著者は必要に追っている。
各証言者が後に書いたものを総合してみると微妙に食い違い記憶の曖昧さを指摘するかのように表も作成されているが、はっきりしていることは脱走は6月20日から21日にかけて。
 
次に発見場所だがクラマールの森となっているが、何故、クラマールの森へ向かったか、以後、誰に発見され捜索願いが出されていた警察に保護され家族に連絡が来たのは何時か。
 
そして帰宅時間はとなるのだが、その間、佐伯の首についていた索溝、つまり自殺を謀ったのではないかという説を巡っても索溝痕があったという人と見てないという意見が錯綜してよく分からない。
だが精神科医の武井健一さんという方が日本病跡学会で画期的な資料を発表。
佐伯が入所したエブラール精神病院の文書保管室に診断書の原本が保管されていた。
20日からの経緯を整理すると以下のようになる。
 
20日早朝に失踪、同日発見され再逃亡を図る。
その結果、米子は20日夜、佐伯を精神病院に入れることを決心。
21日、警視庁特別医務室副主任医師兼法定鑑定人に収容理由鑑定書を書いてもらう。
友人らが病院を捜し23日、エブラール病院へ入院。
入院証明書にエブラール病院の精神科医師G・プティは次のように記している。
 
佐伯祐三氏は、頻回の不安発作発作とピティアティスムを有する言語、運動性興奮の発作を伴う多様性症候群を呈し、自殺ないし自傷企図を伴う衝動的で激しく混乱した反応を繰り返している。前頚部に縊死を試みた痕跡が、また両上肢には交跡が数箇所あり。身体症状は芳しからず、有熱で、間欠性の呼吸困難あり、痩せており、消化管に舌苔状態を認める。進行性肺結核の可能性あり。要注意。
 
つまり、医師の診断書により自殺を試みたことが書かれている。
木からロープを垂らし首を吊ったが枝が折れたらしい。
入院後の治療方法に付いては。
 
病院での主な治療方法は入浴とシャワーのみであった。
 
これはどういうことなのだろうか。
山田新一の証言によると。
 
当時、東大病院でも一日入院費が高くて5円、それがフランスでは9円もするということで安い病院を探した結果、エブラール精神病院に決まったらしいが、山田たちは自殺未遂をした佐伯を面倒見切れず強引に入院させたようにも取れる記述になっている。
だが、絵も売れ金のある佐伯は近くの市立病院で人種差別により入院を拒否されたという人もいる。
 
さらに佐伯は日本食しか喉を通らず神経的に参っている状態でのフランス料理は無理で充分な栄養と休養が摂れなかった。
従って佐伯は絶食して死んだように書かれているがよく分からない。
ただ、棺の中の佐伯の写真が残されているが、それを見ると眼孔が酷く落ち込みまるで骸骨のように痩せている。
 
佐伯の死亡発見時は8月16日11時10分前。
誰看取るものなく逝ったらしい。
飽く迄も発見時でフランスでは死亡については危篤電報で知らせるのが通例なのか、死亡時、監視人、看護人共に病室に居なかった。
 
妻米子が佐伯の死に立ち会っていなかったのは6歳になる一人娘の弥智子が結核喉頭炎の上に髄膜炎を併発して危篤状態だったためだが親子同居生活で罹患したと思われる。
弥智子は父を追うように一ヵ月後に亡くなった。
夫と娘を亡くし独り帰国した夫人の気持ちは如何ばかりであったであろう。
巻末に著者はこう書き終えている。
 
芸術家の生涯とは兎角波乱万丈に満ちたものであるが、僅か三十余年の生涯を創造に燃焼し尽くした佐伯のそれを見るにつけ、今更ながらにその感慨を持つものである。
 
人の一生とは初めから決められた長さのローソクを持って生まれ出るようなものなのであろうか。
例え長いローソクを持って生まれ出ようが青春を湯水のように無駄に使い果たし、学ぶに値することを身に付けず余生はただ漫然と日々を過ごし幼児帰りのようにして灯が消えて行く人も居れば、所詮、短いローソクと知りながら日々、残された芯と競争するかのように激越に燃焼していく人生を選ぶ人も居る。
 
短命は芸術家の定めとは言わないが、譬え短命に終わったとしても作品は普遍的な命を宿し我々の感性を痛く刺激する。
でなくては命と引き換えに芸術に取り組んだ意味も空しい。
後世に生きる我々の鑑賞力が芸術に息吹を与え、作者に名声を齎す。
芸術はいつの時代と雖も鑑賞することが死者への弔いになるのだ。
 

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心にナイフをしのばせて 奥野修司

 
酒鬼薔薇」事件を溯ること28年前の昭和44年4月23日、神奈川県川崎市で起こった頭部切断事件。
被害者は私立高校の1年生。
加害者は同級生の少年で鋭利な刃物で全身47ヵ所をめった刺しにして殺害、事件の一部始終を見ていた人からの通報で少年Aはあえなく逮捕。
しかし、この凄惨な事件、私の記憶には全くない。
 
この本はルポルタージュだが、著者は敢えて被害少年の妹さんに一人称形式で語らせる手法を用いているため、全編、妹さんが語り部のように事件後の家庭崩壊の様相が綴られている。
解剖所見によれば刺し傷は胸部に12カ所、背中7カ所、顔面16カ所で、その遺体確認を父親がしたらしいが、事件以来、母親は寝込み、その間の記憶さえ無くなってしまった。
 
いったい少年犯罪加害者の更生とは何なのか考えさせられる。
政府が犯罪加害者の更生にかける支出は年間466億円。
一方、被害者のための予算が年間11億円。
何故、このようないびつな結果が生まれるのか疑問が覚える。
 
ともかくこの事件の意外性は加害者少年が更生後、大学を出て弁護士免許を取得し結婚して一家を構えることに被害者側が、ある程度の矛盾を感じている点だ。
30余年経った時点でも約束の慰謝料は未払いで被害者の母親は年金生活者で更に借金まである。
 
しかし、ある意味では少年法の精神である更生プログラムの最も成功した例とも言え、総てのみそぎは済み正義の味方として弁護士になり結婚し子供を設けて何が悪いとも言えるが、何か釈然としない。
被害者家族には平和は訪れず、いつまで経っても苦しみ続ける。
 
妹さんは言う。
加害者少年が弁護士になっていると聞いて。
 
「あいつをめちゃくちゃにしてやりたい」
 
と半狂乱だったとか。
 
「会うときは自分の命をかける覚悟で会いたい」
 
そういう気持ちがこの本のタイトルになっている。
 
『心にナイフをしのばせて』
 
人権なり少年法というのは実に悩ましい問題を含んでいる。
厳罰主義で臨むべきだという意見、人格形成されていない少年を犯罪者として処罰するより教育的な措置で矯正させるべきだという意見。
しかし加害者の年齢の如何を問わず、被害者家族を襲う第二の悲劇は何を持ってしても救えまい。
心に空いた損失感をどう埋めたらいい。
場合によっては絶望から死さえ考えることだってある。
 
「加害者が少年なんだから、まあ、そうキツイことは言わず長い目で見てやりましょうや」
 
なんていう気にはなれないだろう。
ましてや首を切断などという猟奇殺人とあっては、どんな言葉を持ってしても償いきれるものではない。
最後にこんな精神科医の話しが載っていたので記載したい。
 
分裂病の人は百人に一人はいる言われていて、もちろんすべて犯罪者になるわけじゃないが、精神科の世界では十四歳がいちばん危ないと言われています。だから、ある一定の確率で酒鬼薔薇のような少年が現れる可能性は否定できないんですよ」
 
確かに二度とこのような事件は起きないとは誰も言えまい。
しかし私はどうしても考えてしまう。
何も知らずに結婚した妻がある日、人づてに・・・!
 
「貴女の旦那さんって、昔、人を殺して首を切断したんだって知ってた?」
 
と言われたら⁉
 

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あひる飛びなさい 阿川弘之

 
本題を前に米内光政と言えば海軍大将にして総理大臣まで務めた国家の重臣で終戦時、鈴木内閣の下で海軍大臣を務め阿南陸相と激しく対立した人物として知られている。
その『米内光政』の伝記本を書いたのが同じ海軍の後輩で所謂、ポツダム大尉と言われる阿川弘之
私が阿川作品に初めて触れたのがこの肩ぐるしい本だった。
 
しかるにどうだ、最近、次々に復刊するちくま文庫の阿川作品はどれもお茶の間向けの大衆小説。
軽妙洒脱が得意な書きっぷりで戦記文学を書いた同一人物とは思える作品ばかり。
戦後、阿川は志賀直哉に指示し作家デビューを果たしたようだが、後年、文化勲章まで受賞する大作家になった。
復刊本はこれで確か4冊目。
 
・カレーライスの唄
・末の末っ子
・あひる飛びなさい
 
このところ同じように獅子文六源氏鶏太ちくま文庫は復刊させているが、確かにどれも面白いと言えば面白い。
しかし口当たりはいいが、時間と共に肝心な味を忘れてしまうのが玉に瑕。
昭和30年代にはこのての小説が多いに持て囃され多くの作品が映画化されたようだが、私は一本も見たことがない。
だがここ数年、筑摩書房の取っている復刊という営業戦略は評価に値するのでこれからも続けほしい。
 
さて、本書のストーリーだが、戦争に負けた日本、男たちはどうやって生きていくのか?
国産旅客機の開発を夢見る元中尉。
妻を空襲で亡くし、ひとり娘の成長に気をもみ、戦争未亡人との恋、進駐軍専用キャバレー経営から、みんなに夢を売る観光事業に転身する男。
つまり敗戦の悲観ばかりしていても何もならない。
それをバネに戦後日本の発展に寄与した男たちの話しだが暗さはなくユーモラスで愉快。
 
国産旅客機の開発を夢見る人物は加茂井元海軍技術中尉、進駐軍専用キャバレー経営をする男は横田大造元一等主計兵曹。
この二人が戦後体面する場面が面白い。
加茂井は航空工学の権威で加茂井博士と呼ばれているが、その加茂井が横田に言う。
 
「だって、あなたでしょ。方面艦隊の参謀に女を一人探して来いと言われて、これなら大丈夫ですって、自分が先にお毒味してから差し出したというのは。当時、上海で有名な話しだったよ」
 
また、横田大造がアメリカ視察旅行に行った折りの事、通訳の青年に問う。
 
「あんた、ところでコーリ・ガールちゅうもんは、簡単に手に入るかいな?」
大造が訊いてみると、彼は、
「コーリ・ガールか、コーリ・ガールは良かったな」
と大笑いし
「氷ガールでも、アイスクリームでも、何でも要ればすぐ手配して上げますよ」
 
コール・ガールという言葉はその頃まだ日本では一般的な言葉になっていなかったと書いてある
そして氷ガールなる者がホテルにやってくるのだが、その感想が面白い。
情緒というものがまったくなく、結果としてこの日米交流は素っ気ないものになった。
 
「どういうんやろ?、国情の相違かいな?」
 
彼が昔大阪の飛田の遊郭で遊んだころ、中国大陸で「お毒味」などしたころ、或は近年、荒木町あたりの待合での遊び、どれを思い出してみても、こんなつむじ風みたいな女に出会ったことは一度も無い。
 
「この方面は、大してエンジョイさせん主義かいな?」
 
と結んでいる。
ともあれ、この物語の最終は戦後初の国産旅客機初飛行を目指す加茂井博士らの努力が実ったところで終わる。
タイトルの『あひる飛びなさい』とは初国産機の名前が『銀のあひる」と命名されたことに由来する。
 
ところで余談だが、私も中学の頃から本を読んできたが文学書の中に私と同じ苗字をこれまで見たことがなかったが、何と、この本で初めて同性が現れたので驚いた。
私の苗字は全国的にもあまり多い方ではないので多少意外な感があったが。
 

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下足番になった横綱―奇人横綱男女ノ川 川端要寿

今迄、自称好角家を名乗って来たが、いやはや、全くの勉強不足を痛感させられた1
冊で、第三十四代横綱男女ノ川(みなのがわ)の存在、全然知らなかった!
何でも、あの大横綱双葉山に稽古をつけてやったのが男女ノ川と聞いてはなお一層興味が湧く。
横綱昇進は昭和11年5月場所。
しかし、この時点で既に満32歳。
身長195㎝、体重160キロの巨漢。
 
男女ノ川は本名、坂田共二郎、明治36年生まれで農家の次男坊。
(注:ウィキとは違う説になるが身長、体重、生まれは本書に従う)
男女ノ川が番付に載ったのは大正13年5月場所で西序の口十六枚目付け出しで四勝二敗。
記録によると男女ノ川の成績は大関最後の場所昭和十一年一月場所が最盛期で横綱昇進後は下り坂で後輩双葉山にも全く勝てなくなってしまった。
世は双葉山時代の始まりで同場所六日目に玉錦に破れて以来全勝街道まっしぐら。
柳橋芸妓の間では「お互いに双葉山を犯さるように」と双葉関を守る会が出来たというから驚く。
 
余談だが戦前の相撲協会のことは少し組織が煩雑で分かり難いため詳細は知らぬ。
協会が東西に分かれていたことは知っているが東京相撲協会大阪相撲協会が合併した最初の場所が昭和二年一月場所らしい。
余談を続けるが昭和十三年十二月の巡業地が大阪阪急前とあるが、はて、現在ではどの辺りを指すのか、そんな所でやっていたなんて!
 
ところで、何の為に数ある横綱の中から男女ノ川の伝記本が書かれたかといえば実に風変わりな人生を送ったことにある。
すっかり弱い横綱として定着してしまった男女ノ川は足腰の鍛練のため横綱では初めて自転車通勤に切り替え周りを驚かせた。
それも通常は24インチから26インチが普通だが男女ノ川のは40インチの特大、そんな自転車があるのか?
その後はマイカーで自らが運転して国技館に通ったとあるから珍しい。
 
さて、興行が15日制になったのは十四年五月場所からで男女ノ川の引退は十七年春場所
その後、番付会議で佐渡ヶ嶽が緊急提案、男女ノ川一代年寄
しかし、今日の今日まで私は一代年寄の元祖は大鵬だとばかり思っていたが違ったわけだ。
かくして男女ノ川は四月の靖国神社奉納相撲で太刀持ち双葉山、露払い羽黒山を従えて最後の土俵入り、しかし、双葉山太刀持ちとは凄い。
 
その後、十九年五月場所後、男女ノ川は理事に推挙されたが同時に早稲田大学に入学。
そして、あろうことか十月限りで理事職を辞め菊池寛の紹介で中島飛行機会社青年学校の教官に採用される。
更に農業を営み終戦後の二十一年四月、何と衆議院選に立候補。
本人は当選を信じていたようが見事に落選、結局、二度の立候補で共に落選し持ち金300万円を使い果たし、呆れた妻と息子は出奔した。
 
独り気楽になった男女ノ川は保険外交員、土建業、金融業、私立探偵と転職。
挙句には二十世紀フォックス社の映画『タウンゼント・ハリス物語』という作品でジョン・ウェインの相手役に抜擢。
あまり聞かない映画だが一度見たいものだ。
そしてNHKの『鐘の鳴る丘』にゲスト出演したのを最後に公の場から姿を消した。
 
私は文字通り巨人・大鵬・玉子焼きの世代だが、昭和40年頃というと柏鵬時代に翳りが出てひとり、大鵬時代となっていたが佐田の山が頭角を現し横綱に昇進。
時に理事長は時津風双葉山)で年来の懸案だった部屋別総当たり制が導入された年でもある。
その頃、男女ノ川はどうしていたのか。
東京北多摩郡保谷町の尚和園という老人ホームに入所していた。
それを聞いた時津風理事長始め協会から見舞金として32万5000円の金銭を受け取った男女ノ川は同室者の誘いもあって競艇で25万円ぼろ敗けしてしまった。
 
昭和43年12月16日、理事長時津風は逝去。
明けて44年2月、戦前から男女ノ川のファンだと言う野鳥料理店を営む酒井米太郎という男が訊ねて来て生活に不自由しているならウチへ来て住み込みで働かないかと誘い水を向ける。
衣食住に不自由はさせないから下足番みたいなことをやってくれればいいと。
それがこの本のタイトルにもなった『下足番になった横綱』ということになるのだ。
 
そしてその日、昭和46年1月20日、訪ねて来たクリーニング家の店員が部屋で倒れていた男女ノ川を発見。
死因は脳溢血、67歳の生涯だった。
男女ノ川は土俵上より外伝で名を成した人物で、とかく第一号が多い。
 
自転車乗り角界第一号
ダットサン国技館入り第一号。
早稲田大学専門部法経科専科入学第一号
38歳まで横綱を張り一代年寄第一号。
 
横綱双葉山の影に隠れて目立たない横綱だったが、どこか悲哀に満ちた波乱の生涯は、いま一度クローズアップされ巷間に上ることを期待した。
 

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