愛に恋

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太平洋戦争 part.2

1945年3月19日07:08ごろ,日本近海にて日本軍機の緩降下爆撃を受け,右舷に大きく傾斜する空母「フランクリン」。戦争というのは本当に大スペクタクルだ。こんなのを身近に見るわけだから。乗組員は全員左舷に寄っている。

1945年4月7日,沖縄に向けて航海中,アメリカ軍艦載機の攻撃を受ける戦艦「大和」。14:20過ぎに沈没する。連合艦隊参謀神重徳大佐が4月5日、草鹿参謀長に大和へ説得に行くように要請し、草鹿は大和の第二艦隊司令部を訪れ、長官の伊藤整一中将に作戦命令の伝達と説得を行った。なかなか納得しない伊藤に「一億総特攻の魁となって頂きたい」と言うと、伊藤中将は「そうか、それならわかった」と即座に納得した。連合艦隊作戦参謀の三上作夫中佐によれば、自身も作戦に疑問を持っていた草鹿参謀長が黙り込んでしまうと、たまりかねた三上が「要するに、一億総特攻のさきがけになって頂きたい、これが本作戦の眼目であります」と説明したという。この特攻隊は連合艦隊長官豊田副武大将によって「海上特攻隊」と命名された。私がこの作戦に対し不満を持つのは死者2740名を出したのにも関わらず、戦後、連合艦隊の参謀の誰もが責任を取って腹を切っていないではないか。一億総特攻のさきがけではなかったのか。初めから不可能だと分かっていた作戦を伊藤長官に進言した神重徳大佐、草鹿参謀長、三上作夫中佐、ええ、どう思っているんだ。答えよ。

1945年4月11日,沖縄戦において戦艦「ミズーリ」に突入する特攻機。損傷の跡は現在も「ミズーリ」の船体に残されている。この写真は何度見ても凄い。特攻機がミズーリに肉薄している。どうしてこの角度からの突撃となったかは分からないが、あるいはミズーリはそれと気が付いて急旋回したのだろうか。ほんとうに惜しかった。この時、成功していれば、あの戦後の調印式はこの戦艦ではなかったはずだ。搭乗員は分かっているのだろうか。
 

78年前の1945年5月4日,沖縄・慶良間列島沖にて。護衛空母「サンガモン」に突入する「菊水五号」作戦の特攻機。特攻機は左45度に傾いている。パイロットの死は目前だ。この後、どうなったのだろうか。見事、突入していればいいのだが。然し、これ以上の壮絶な死はないだろう。合掌!

1945年4月28日,読谷飛行場にて。空襲する日本軍機に向けた対空砲火。アメリカ海兵隊の「Hell's Belles」飛行隊のF4U「コルセア」戦闘機がシルエットとして浮かび上がる。激しい対空砲火、この中を日本軍機が飛んで来たんだろうか。戦争というのは本当に恐い。

いまや行楽地となっている、グアム侵攻前にマーシャル諸島・エニウェトク環礁で14インチ砲弾の補給を受ける戦艦「ニューメキシコ」。1944年6月30日の写真です。この砲弾をグアム島にぶち込むわけです。守備隊の日本兵の中に横井庄一さんもいたわけですね。

南シナ海を航行中の空母加賀と編隊飛行を行う九六式艦上攻撃機、珍しい写真ですね。嗚呼、我が連合艦隊。

空母加賀から発艦する九六式艦上攻撃機

1942年9月15日,南太平洋で伊号第十九潜水艦に魚雷攻撃を受けて炎上して傾斜する空母「ワスプ」です。まだ1942年だからアメリカ軍も驚いただろうに。

1944年10月30日,神風特別攻撃隊「葉桜隊」の突入により炎上する軽空母「ベロー・ウッド」。同じく特攻により炎上する空母「フランクリン」が背後にみえる。