愛に恋

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「ムーンライト・セレナーデ」 艦船職員服務規程

昭和20年4月7日正午過ぎ、戦艦大和が初めて米軍機と接触した。ここに壮絶な大和最後の決戦が繰り広げられる。決戦空しく、部下から「注排水指揮所も破壊し、傾斜復元の手段は尽きました。総員を最上甲板に上げてください」、と有賀艦長に報告され、有賀艦長から総員を最上甲板、の命令が発せられ。有賀艦長は体を船体に縛り付け、大和と共に沈むことを選んだ。よく艦長は艦と運命を共にするのが習い、と思っている人がいるが、日本の海軍にはそのようなことはない。「艦船職員服務規程」において、艦長の義務としては、第三十三条「艦長は其の艦遭難に際して之を救護するの術全く尽きたるときは、御写真を守護し乗員の生命を救助し且重要なる種類物件等を保護して最後に退艦すべし」とあるのみ。伊藤整一第二艦隊司令長官は、周囲に後事を託したのち、傾いた艦橋を降りて私室に入り、中から鍵をかけた。この日、鈴木貫太郎内閣の組閣当日であり、報告を受けた海軍大将でもある鈴木首相は終戦の決意を一層固めた。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。草鹿参謀長は大和の第二艦隊司令部を訪れ、伊藤整一長官に作戦命令の伝達と説得を行った。なかなか納得しない伊藤に「一億総特攻の魁となって頂きたい」と言うと、伊藤中将は「そうか、それならわかった」と即座に納得したとある。併し、魁となった伊藤整一長官は艦と共に沈んだが、草鹿龍之介参謀は昭和46年まで生きた。腹、切らんかい。