愛に恋

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「ムーンライト・セレナーデ」 明日ありと思ふ心のあだ桜

向田邦子の祖母の想い出に、明日ありと思ふ心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは。親鸞上人の作といわれているが、これがわが人生で最初に覚えた三十一(みそじ)文字である。祖母は「おぼくさん」と呼んでいた仏壇に供えたごはんを私に食べさせながら、この歌の意味を話てくれた。「おぼくさん」は、朝、ごはんをお櫃に移す前に、真鍮の仏様用の小さな容器に山盛りに盛りつけ、お水と一緒に上げるのである。夜には固くなり、線香の匂いがしみついて、お世辞にもおいしいものではなかったが、祖母は、ご利益があるといっては、必ず私に半分を呉れ、自分も女にしてはしっかりした骨太の掌で受けて食べていた。食べ終わると、私は祖母が仏壇の小抽斗から出してくれた桃の形をした小さい扇で、灯明を消し、ギイと戸をきしませて仏壇の戸をしめて、祖母と私の一日が終わるのである。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。どこの国の諺だったが忘れたが、「死者を忘れるな」というのがあった。死んだ後にも、その人のことは胸の中で残り、自分自身が死んだ時、初めて死者の想い出と共に葬られるというのである。つまり、私の父の想い出は、私の死と共に永久に消えて無くなる。おやすみなさい、また明日。