愛に恋

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「ムーンライト・セレナーデ」 いきなり平手で頬を張り飛ばされて

小学校六年のとき、父に買ってもらったガラス製の筆立てを落として割ってしまった。「買ってやった筆立てはどうした」なくなっているのに気が付いた父が、たずねた。「壊れました」軽い気持ちで答えると、急に語気を強め、「もう一度いってみろ」あっ、怒られるな、と一瞬おもった。でも、もう一度オズオズといった。「壊れました」すると、いきなり平手で頬を張り飛ばされて、私はあお向けに畳の上に転倒した。わけもわからず呆然とする私を、父は顔に青筋をたてて、にらみ下ろすと「ちゃんと言ってみろ、おまえが壊したんだろう。それとも、ジーッと見ているうちに、筆立てが自然にバカッと割れたのか」とてつもなく威圧的な声だった。私は声をヒクつかせながら、つまる声で答えた。「落っことしました」すると、父は少し声を落として、「そんなのは、壊したというんだ。壊れたというのとはぜんぜん違うんだ」そして紙に鉛筆で、「壊れた」「壊した」と書き、私の顔につきつけると、「どうだ、違うだろ、ハッキリしろ、これからも、ずっと、そうしろ」と命令した。父が立ち去ったあと、私はくやしくて嗚咽が止まらなかったと、向田邦子は書いている。今の時代、家庭内暴力体罰は逮捕の対象になる。向田邦子は私よりずっと年上だが、私の父も気性の荒い人で、どれだけ平手打ちを見舞われたことか、木造アパート中に私の泣き叫ぶ声が響いていただろうが、誰かが助けに来たことはただの一度もなかった。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。おやすみなさい、また明日。