愛に恋

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存在の耐えられない軽さ ミラン・クンデラ

恋愛を哲学で捉えたことなど一度もない。

そんな高尚な恋など私にはできないが、何のことはない、本書は予想外の哲学的恋愛小説らしい。

哲学的恋愛小説とは何ぞや。

重さ、必要性、価値は内部で相互に結ばれている三つの概念があり、必要なものは重さであり、重さのあるものだけが価値をもつのである。

何のことかさっぱり解からん。

当時、サビナ(登場人物)は共産主義の世界でのみ音楽のこの野蛮さが支配するのだと考えていた。外国に出て分かったことは、音楽の騒音への変質は、地球全体のプロセスであり、このことにより人類は総合的な汚染という歴史的な局面へ入ることを認識した。汚染という総合的な特徴はまず到るところにある音響的な汚さ、車、バイク、エレキ、ドリル、スピーカー、サイレンにあらわれたのである。

「理解できる?」

愛はメタファーから始まる。別なことばでいえば、愛は女がわれわれの詩的記憶に自分の最初のことばを書き込む瞬間にはじまるのである。

「う~ん、解からん」

小説は著者の告白ではなく、世界という罠の中の中の人生の研究なのである。

「どう、理解できる!」

プラトンの有名なシンポジオンという神話のなかに。人々は最初、男女両性具有者であったが、神がそれを二等分したので、その半身はそれ以来、世の中をさまよい、お互いを探し求めている。愛とはわれわれ自身の失われた半身への憧れである。

「そういうことなのかな」

われわれは忘れ去られる前に、俗悪なものへと変えられる。俗悪なものは存在と忘却の間の乗り換え駅である。

「解からん、とにかく難しい小説で舐めたらあかんぜよ」