愛に恋

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追懐の筆-百鬼園追悼文集  

本書は漱石と、その門下の人たちの交流を描きながら、今は亡きそれらの人たちを、哀惜を込めて思い出を綴る追悼文集のようなものだが、自らの若かりし頃など思い出すと、寂しさもひとしおだろう。

鈴木三重吉の霊前で思いもかけず号泣したこと。

宮城道雄の突然の死には現場にも出向いて、その経緯を一冊の本にして上梓したりしている。

門下以外でも田山花袋の死、数十年以わたって交流した人々を懐かしく語っている。

また、明治42年6月の「六高校友会誌」には亡き友に対してこんな追悼文を寄せている。

「鶏蘇仏の遺友は、君が生前の友誼をかたみとして、若き日と分かれた。これから後の年月に、蚊柱の夕、落葉の暁を数つくして、黄壌の君が僕を忘れる時があろうとも、僕は嘗て君と共に花を踏んで惜しんだ少年の春をいつまでも偲ぶであろう。」

入る月の波きれ雲に冴え返り

內田百閒は明治22年生まれなので、この文章は20歳の頃となるが、現在の大学生ではこんな文章は書けないだろう。