愛に恋

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太宰よ! 45人の追悼文集: さよならの言葉にかえて

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本書の感想文を書くにあたって、書棚にある太宰関係の本を集めてみた。
太宰が書いた作品は入れてない。
つまり、また太宰か、ということになる。
そう、また太宰なのだ!
それも45人の追悼文で、太宰の交友関係の広さを窺い知れるものになっている。
 
Ⅰ太宰よ!

弔辞(井伏鱒二
文芸の完遂(檀一雄
不良少年とキリスト(坂口安吾
白い手(青山光二
稀有の文才(佐藤春夫

Ⅱあの日のこと

太宰治昇天(石川淳
太宰治氏のこと(石川桂郎
太宰治を憶う(宮崎譲)
刃渡りの果(伊馬春部
性得の宿命――『晩年』へつながる純潔(沙和宋一)
仙台・三鷹・葬儀(抄)(戸石泰一)

Ⅲ死を悼む

太宰治先生に(田中英光
苦悩の末(野口冨士男
太宰治の死(上)(柴田錬三郎
小事(武田泰淳
太宰の死について(中野重治
太宰治を偲ぶ(大西巨人
やむを得ぬ滅亡――太宰治の死(桑原武夫
水中の友(折口信夫
地獄の周辺(花田清輝
太宰治は生きている(土井虎賀寿)

Ⅳ太宰とわたし

酒徒太宰治に手向く(内田百閒)
友人相和す思い(林芙美子
私の遍歴時代(抄)(三島由紀夫
ある日のこと(小沼丹
太宰治と私(丹羽文雄
太宰治の魅力――ひとつの個人的な回想(江藤淳
太宰治、追悼(埴谷雄高

Ⅴ太宰の文学

太宰君を憶う――一愛読者として(尾崎一雄
脆弱な花(平林たい子
「晩年」に寄せて(吉行淳之介
「生れてすみません」について(山岸外史)
滅亡の民(河盛好蔵

Ⅵ追憶の太宰

追憶(阿部合成)
太宰治の追憶(中村貞次郎)
「晩年」時代の太宰治浅見淵
想い出(小山祐士)
太宰君のこと(外村繁)
三鷹(津島美知子)
初めてたずねた頃のこと(小山清
「斜陽」のころの太宰さん(野平健一
晩年のころ(臼井吉見
山水蒙(中凶)(今官一
太宰治の思い出(亀井勝一郎
太宰治のこと(井伏鱒二
太宰治との一日(豊島与志雄
 
と、こんなもんだが、以前読んだ猪瀬直樹の『ピカレスク』にも同じような事が書いてあったが、宮崎譲の追悼の中の記述を引用すると。
土堤をすべり落ちる瞬間、ハッ、と冷たく覚め、驚愕と苦悩の抵抗を続けたのではないだろうか。現場の、草はむしれ、深すぎる土のえぐれた跡を見て、私は慄然と、流れに落ち悶絶するまでの太宰治の動顛した苦痛を思う。
その現場を見たら当然そう思うが、気になるのは、太宰は最後の最後まで覚悟が出来ていなかったのではないかと思ったりするのだが。
先に富栄が入水し、その重さで引きずり込まれるように落ちたのではないだろうか。
故に「深すぎる土のえぐれた跡」となったのではないかと想像するがどうだろう。
ところで追悼者の中には土井虎賀寿、これで、とらかずと読むが、哲学者なども一文を寄せているが、長々と何を言っているのかさっぱり分からない。
道化は、かなしみの主体主義であり、仮面はかなしみの客体主義である。
まだまだ続くが哲学者の言うことは、一見、場にそぐわないような長文でちんぷんかんぷんだ。
太宰の健康状態は昭和23年の段階でかなり悪かったようだが、あの日、入水しなければ、一体、寿命はどのくらい残されていたのだろう。
結核も去ることながら、毎日の酒量が異常で林芙美子は書いている。
朝11時頃より、夜の11時頃までにウィスキーならば二本。
そして、いまに私も、そのうち幕をさげるようになるかも知れない。本当に生きて書きつづけると云う事は難行苦行である。
作家の死は事件だと言った人がいたが、確かにそうも言える。
先の太宰関連の写真でも分かるとおり、太宰の死に関しては昔から興味を持っている。
しかし、太宰文学なのかファンかと言われれば、そうではない。
では、太宰個人が好きなのかと訊かれてもNOと答える。
大体が納得できない。
有島武郎芥川龍之介太宰治と自殺した作家は何故か幼い子供を3人残して勝手に死んでいった。
これはどう考えたらいい!
有島武郎の場合は既に妻が他界しているわけだし、情死以外、他に方法はなかったのだろうか。
太宰の場合にしても子供を残し、他の女と心中する、これを知った妻はどうしたらいい。
ましてや社会的に高名な作家の妻としては脚光を浴びなければならない。
なんとも慰めようがない。
丹羽文雄の追悼には。
彼の死体が上がる前日、私ははじめて太宰の家へおくやみにいった。聞いてはいたが、あまりにひどい家なので、びっくりした。太宰には稿料や印税がはいっていないならともかく、奥さんは、魂から青ざめた人のように蒼い顔をしていた。
太宰の毎日の酒代はいくらだったか知らないが、流行作家だけにそれなりの収入があったはず、私なら浮気をするにしても家族が辛酸を舐めるような事はさせたくないし、文壇の仲間にこのような事を言われるのは屈辱だ。
河盛好蔵の追悼文を読んでみよう。
太宰君! 君の自殺に私の賛成でないこと、それは君の敗北に外ならないことは既に幾度も私は書いた。しかし君は誠実だった。井伏さんの深い愛情と薫陶に支えられてきたことはもちろんであるが、君はよく今まで生きてきた。定めし苦しい一生であったろう。心から君の冥福を祈りたい。
妻津島美知子の追悼文もあるが、芥川がヘビースモーカーだったように、それに劣らず負けず太宰も異常で、
自由に煙草が買えるときで金鵄という、一番安い煙草が一日五、六箱必要で、現金が乏しくなった場合、煙草銭と切手代だけは気をつけて残しておかなくてはならなかった。
1日5箱といえば君・・・、100本ということだよ!
いくらなんでも飲み放題、吸い放題では健康に悪過ぎるだろう。
健康を害していた太宰の寿命が後1年として、文学的にはさらに優れた作品を生むことも出来たかも知れないが、まずは病院送りにした方がいい。
晩年は井伏さんより豊島与志雄氏に傾倒していたようなので、豊島さんからきつく言ってもらうべきだった。
長くなっているが、もう少し続けたい。
亀井勝一郎の追悼。
非常に酔ったときなど、彼はしばしば言う。自分の制作は、残り少なくなった絵の具のチューブを、無理に絞り出すようなものだ。もう何もない。何もないと思っても、最後の一滴と思って絞りだしては書きつづけてきたのである。まるで白痴だ。酒を飲んで、心からおいしいと思ったことなどない。酒の味などわからないのだ。おい、飲もう、と云った具合である。
また、太宰は夜、原稿が書けないと言っている。自分のうしろに誰かが立っているようで怖ろしいから、夜はがむしゃらに酔いしれる。
何か哀しいね!
だいたい我々文学者は、少数の例外はあるが、よく酒を飲む。文学上の仕事は、我と我が身を切り刻むようなことが多く、どうにもやりきれなくなって酒を飲むのだ。または、頭の中に、いろんな滓がたまってきて、それを清掃するために飲むのだ。
と、豊島与志雄は言っているが、凡そ文学者の写真を見ると、煙草を片手にポーズを決めている人が殆どだが、ヘービスモーカーとあっては、これほど不健康な職業もあるまい。
ともあれ太宰だ!
女性は太宰のようなタイプをどう見るのだろうか。
私が居なければダメと太宰から離れないのか、あのようなだらしない男は金輪際いやと退散するか、或いは関わりたくない、しかし、哀しみを内に秘めた悲壮感漂う俯き加減の顔を見るにつけ、なにか母性本能をくすぐられるようなものは無いであろうか。
とにかく、死を呼ぶ込むように富栄と出会ってしまった、これは必然的だったのだろうか。
 
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