1945年8月15日 グアムの収容所で玉音放送をラジオで聴き、涙を流す日本軍の捕虜。
終戦記念日か、中学の修学旅行で二重橋を背にクラス別に記念写真を撮ったが、当時と今とでは終戦に対しての国民感情もかなり様変わりをしたのだろうか。
昔、大宅壮一原作の『日本のいちばん長い日』という、昭和42年制作の東宝映画を観た。
8月14日からの宮城事件を描いた大作で、史実に基づいた大巨編でだったが、あの映画は何度見ても素晴らしい。
クーデターを起こそうとした畑中少佐は、あの玉砂利のどの辺りで死んだのだろうか。
遺体がどうなったのかも知らない。
東條英樹の女婿もあの日、自決した。
昭和42年と言えばまだ戦後22年しか経っていないではないか。
当時を知る人は沢山存命だったはず。
成人すれば22年なんてあっという間だ。
記憶も鮮明で、当時の大人はこの映画を観て何と思ったのだろう。
思えば平成も無事に済み令和の御代になり、昭和も遠くなりにけりだな。
渡哲也さんは、昭和16年12月28日の生まれということは開戦後20日して生まれたことになる。
それではあまり戦争体験の記憶も乏しいだろう。
3歳で終戦を迎えた幼子の渡さんも逝ってしまわれた。
然し、上の写真の人たちの気持ちは今の私達には解らないのだろうね、終戦ではなく、敗戦ということは。
酷暑日に あの日の正午 蝉鳴く日 ダメオ