愛に恋

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詩人の終焉

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名文に出会った時、それはまるで路地の片隅から突然現れた美女を凝視するが如く
初恋に似た幼い疼きを胸に覚える。
敬愛する萩原朔太郎が亡くなった時、室生犀星は追悼号でこのように書いている。
 
たばこをやめ
かみを剃り
 
坊主となりて
きみは永き旅路にいでゆけり
 
ひとにあうことなく
曠として
きみはむなしくなれり
 
あおばわかばの果てもあらず
ひとのなさけに表をむけず
 
その二人を評して北原白秋は言う。
 
犀星は健康 朔太郎は繊弱
犀星は土 朔太郎は硝子
犀星はろうそく 朔太郎は電球
犀星は高原の自然木、朔太郎は幾何学模様の竹
犀星はたくましい野蛮人 朔太郎はヒステリーの文明人
犀星は男性の剛毅を持ち 朔太郎は女性の柔軟を持つ
 
萩原朔太郎は自分のことを「不遇な季節はずれの天才」だと思っていた。
犀星はそんな朔太郎との思いを書く。
 
「萩原と私の関係は、私がたちの悪い女で始終萩原を追っかけ廻していて、萩原も
 ずるずるに引きずられているところがあった。
 例の前橋訪問以来四十年というものは、二人は寄ると夕方からがぶっと酒をあおり
 またがぶっと酒を呑み、あとはちびりちびりと呑んで永い四十年間倦きることがな
 かった」
 
白秋と朔太郎は昭和17年に共に逝き、犀星はそれから20年生きて昭和37年に亡くなっている。
そして、39年には佐藤春夫も逝く。
弔辞を読んだのが川端康成
 
悲愁のうちに千峰霽(は)れて露光冷(すず)しきを感ず
心奥を貫きて開眼を促す 
時は五月 
詩人の古里にたちばなの花咲くならんか
ほととぎす心あらば来鳴きともせよ
 
格調高い文章、明治生まれの文豪たちの終焉が近づいていた頃ですね。
同じ空の下、子供の私は何も知らず、ただ、飛蝗や蝉を追い回していた日に。