萩原朔太郎の初めての作品集『ソライロノハナ』が見つかったのは昭和52年の秋のことらしい。
大正2年4月に編まれた、この作品は自選自筆歌集で、詩に転向する以前の朔太郎唯一の歌集で、それは、ただひとりの女性に捧げるためのものであった。
3年の東京放浪生活を経て、大正2年、郷里前橋に戻った朔太郎に突然エレナから転居通知が届く。
肺結核を患い転地療養していることを知った朔太郎は、今までに作った短歌を集成、一冊の手作り作品『ソライロノハナ』を完成。
平塚杏雲堂病院に入院した後、七里ヶ浜に移ったエレナを追って、朔太郎と妹のユキは4日間転地先を捜し歩くものの見つからず、『ソライロノハナ』は結局、朔太郎の手元に残った。
朔太郎は書く。
「平塚の病院に昔知れる女の友の病むときいて長い松林の小路ををたどって東へ東へと急いだ。海に望む病院のバルコニーに面やつれした黒髪の人と立ってせめて少年の時の追憶を語り合いたかったのである」
エレナが転地先の腰越で27歳の生涯を閉じたのは大正6年。
寂寥と孤独に彩られた朔太郎の深層を覗くようで悲哀が滲む文章ですね。