愛に恋

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昭和二十年八月十四日 断腸亭日乗

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永井荷風の「断腸亭日乗」の原本は、将来、国宝になるのではないだろうか。
それほど日記文学として優れている。
昭和二十年八月十四日の項を見ると
 
燈刻谷崎氏方より使の人来り
津山の町より牛肉を買ひたれば
すぐにお出ありたしと言ふ
急ぎ小野旅館に至るに日本酒
もまたあたためられたり
細君下戸ならず 談話頗興あり
 
名文ですね!
燈刻(とうこく)とは灯が点く頃と解釈したらよかろう、夏時間なれば7時過ぎぐらいだろうか。
岡山県の津山で谷崎と、頗る興味のある話しで楽しんだのだろう。
日付を見れば分かるとおり終戦前夜ということになる。
明日が終戦になるとは夢、思っていない。
翌日、荷風は朝食を済まし11時26分の汽車で岡山へ帰っていった。
正午、運命の玉音放送
 
谷崎が疎開していた岡山県勝山の家を荷風が訪ねたのは8月13日の午後1時半頃。
終戦間際の食糧難の時代に恩師、荷風をもてなすため谷崎は当時としては贅の限りを尽くした。
耽美派の双璧、荷風と谷崎の関係は「刺青」を発表した当初、誰よりも先にその才能を荷風が認めたことに由来、谷崎は荷風を師と仰いでいた。
 
二人の共通点と言えば食道楽、女好き、共に79歳で没していること。
軍国主義を嫌ってひたすら我が道を行った二人の会話は如何なものだったか。
因みに14日のメニューは。
昼食はもち米で炊いた赤飯、夕食はすき焼き。
玉子一つ調達するのが困難だった時代、牛肉を手に入れるのが難しく数十万の大金をはたき、清酒二升も何とか購入したようだ
 
谷崎が如何に荷風を厚遇したかこれを見れば分かる。
テレビで見た岡山県津山市勝山町は、さすがにここまでは米軍機の飛来もなさそうな長閑でいい所。
翌日、電車の中で。
 
「谷崎夫人の贈られし弁当を食す。白米のむすびに昆布佃煮及牛肉を添えたり。欣喜措く能わず。あたかも好し、日暮…鶏肉葡萄酒を持来る、休戦の祝宴を張り皆々酔うて寝に就きぬ」
 
 
「欣喜措く能わず」とは、めちゃくちゃ嬉しい、もう止められない、というような意味で、食料難の時代に「昆布佃煮及牛肉を添えたり」という訳だから、口の肥えた荷風山人にしてみれば堪りませんということか!
最近はカツ丼を食べなくなったが、荷風晩年、毎日食していた大黒屋のカツ丼、いつか食べてみたいものだ。
文豪は逝ってしまったが、今日の日本の姿、お二人にはどう映っているのやら。
 
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