愛に恋

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血盟団事件―井上日召の生涯 岡村青

 
自分で選んどいて何だが、まったくストレスの溜まる本だった。
昭和初期の歴史書には必ずと言っていいほど登場する血盟団事件井上日召
とにかく、この人物を紐解くには少なくとも大正期の米騒動から五・一五事件までの世相を知る必要がある。
私にとっては少し手に余る内容だが興味のある題材なので仕方なく購入した次第。
第一次大戦後の好景気から一転、昭和の大恐慌に至るまで日本と日本人にとって何が起きたのか掘り下げていかなければならない難題だ。
 
例えば大正から昭和に改元した頃の首相と言えば民政党の第一次若槻内閣時代。
しかし、全国各地の銀行で取り付け騒ぎが起こった事により総辞職。
原因は片岡直温(かたおか なおはる)大蔵大臣のこの一言。
 
「現に今日正午ごろにおいて渡辺銀行がとうとう破綻しました」
 
昭和恐慌の始まりである。
これが昭和2年3月14日の衆議院予算委員会でのこと。 
代わって登場したのが「オラが大将」こと長州閥の軍人田中義一
政友会総裁として首相の座に就いたが、対する民政党との政争は絶えることがなく、翌昭和3年関東軍による張作霖爆殺事件の責めを負って田中内閣は退陣に追い込まれ、代わって民政党浜口雄幸首班指名を受ける。
これが昭和4年7月2日。
 
浜口内閣は国際協調、軍備縮小、財政の緊縮、金解禁の断行、そしてロンドン軍縮会議など、難しい舵取りを抱えての船出。
蔵相は井上準之助、外相は幣原喜重郎という布陣。
しかし、対中国不干渉を唱える幣原外交は軍部から軟弱外交と謗られ、軍縮会議での多少の譲歩が致命的となり、軍部から統帥権干犯と追及され国内は大揺れに揺れ、結局、そのツケは東京駅ホームで払わされることに。
浜口首相が凶弾に斃れ、政界では疑獄事件が頻発、農村部は飢饉、もっとも急がれるべき国民の救済がそっちのけで党利党略で議会は与野党入り乱れての乱闘騒ぎ。
 
誰もが世の中を憂い、何とか世直しをしなければならないと蠢く中、井上日召率いる血盟団が動き出すというわけである。
一人一殺を掲げ、政財界の大物を誅殺するというシナリオ。
この当時の世相を知るに、政界、財閥、軍閥、民間右翼、社会主義者、一般世論とそれぞれがそれぞれの立場で世直しを考えていた。
 
軍部では3月事件、10月事件とクーデターの陰謀が露見し、世の中は混沌としている、そんな中、事件は起きる。
昭和7年2月9日前蔵相井上準之助が暗殺され、次いで3月5日に三井財閥の総帥、團琢磨も暗殺される。
内閣は第2次若槻内閣となり総選挙に討って出るが惨敗し替わって登場したのが政友会の犬養毅
が、その犬養も暗殺されるという異常事態に。
結局、田中内閣から近衛内閣まで僅か8年間に9回も内閣が代わり、その度に軍国主義の台頭を許していった。
 
だが、歴史に名を残した井上日召らの世直し運動には警鐘こそ鳴らしめたが未来図がなかった。
破壊のみあって建設がない。
国を憂うる気持ちがあればテロルは許されるのか。
些か狂信的なような気もするが、結局は政友会で犬養毅高橋是清が殺され、民政党浜口雄幸井上準之助を失った。
井上準之助は将来の首相候補と目されてもいた。
日本史は暗殺の歴史でもあるが、果たしてこれらの人々を葬り去って、さて、井上日召の目的はこれで達成されたのだろうか?
当時を知らないまでも同じ昭和に生まれた者として感慨深い。
 
因みに井上日召の本名は井上昭。
昭和の昭の字を二つに分けた名前である。
 
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