愛に恋

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夢声戦争日記〈第4巻〉昭和19年 上

 
夢声日記、第四巻は昭和19年元旦から6月までなのだが、長編日記を読むと言うの些か難儀なものである。
ではと、この時期、戦火はまだまだ本土からは遠く、夢声は日々仕事に追われ、各地を慰問旅行しているばかりで、戦況の様子は分かりにくい。
既に食料難の時期到来で、行く先々の旅館で食事が上手いか不味いか、又は珍しき物かなどと何度も書いているが、夢声はかなり酒好きと見える。
 
全体的に多く所見できるのは酒と俳句と古本である。
とにかく道中、何処に行っても句作を絶やさないが、どうも名句というものがない。
読書に関しては殆どジャンルを問わず読んでいるようで、この知識が各地での講演や漫談に役立ったものなのか。
古川ロッパの名がよく出てくるが、あのロッパの膨大な日記も同じ時期に書かれていたかと思うと興味深い。
 
確かに記述にはあまり戦争の事は書いていないが、日々、戦況がどうなているかは新聞で読んでいたようで、本人としてはこの戦争に絶対、負けるわけにはいかないという固い信念は感じる。
一方、女子供はというと、日々、防火訓練や隣組の仕事で忙しくしているが、戦争の行方をどう考えていたのかは判然としない。
ただ、早く戦争が終わってほしいと言うのみだ。
 
人間、誰しもそうだが経験したことのないことは容易く想像できない。
まして情報が発達していない当時にあっては猶更だ。
第一、日本が外国軍の侵攻にあったのは北条執権の時代まで溯らなければならないわけで、日清、日露、満州事変、日華事変と戦争はみな大陸で行われ、敵軍上陸や空襲などは、どうも実感が伴っていないように感じる。
家庭内はまったく何の変哲もない日々の生活に従事し、言ってみれば読むに値しない事柄ばかりが続く。
例えばこんな記述。
 
3月7日
 
それ鼻をかめ、それ姿勢をよくせよ、ひっきりなしに妻は坊やを注意する。
それを聞いていると、私は焦々してくる。
坊やにも腹が立つ。
しつけという事は必要であるが、妻のやりかたは、ガチャガチャと五月蠅い。
叱られているときの坊やは、甚だ愚かな児に見えて、それも情けない。
叱っている妻の声は実に情味のないガサガサ声で、なんだって、こんな声の女を妻にしたのかと思うくらいだ。
私が死の病床にある時、この声で何か言われるかと思うと甚だ憂鬱である。
 
と、一体、夫婦間の愛情はどうなっているのかと心配になるが戦争はどうなっているのかと、つい思ってしまう。
さらに5月29日にはこんなくだりもある。
 
私が横丁から現れるのと、運送屋の犬がやってくるのと、丁度ぶつかった。
犬はギョッとした様子で立止まり私を見つめる。
この犬の父親は人なつこい犬だったが、さきごろ死んで了った。
犬は頻りに私を観察しているようだ。
私は声をかけて、笑い顔して見せた。
犬はニコリともせず、私をマジマジと見ている。
私は陸橋工事のある方を眺め、そしてまた犬の方を見る。
 
犬は同じ表情で私を見つめている。
私は可笑しくなって、また笑った。
犬は何んデエ面白くねえやという顔をしていたが、何か結論を得たらしく風呂屋さんの方へ、さっさと歩いていった。
一度もふり返らず横丁を曲る。
 
と、なんだか長閑の朝を迎えている。
確かに空襲警報が発令されたり解除されたりで戦時下にあることは分かるのだが、悲壮感なり切迫感が足りない。
新聞等で戦局が思わしくないことは伝わってくるが、まさか今後、開闢以来、未曾有の大惨事が待ち受けようとは思っていないようだ。
が、いざという時には死の覚悟は出来ているようで日本人としての矜持は失っていない。
しかし、庭いじりや書斎の拡張、読書と読んでいるこちらが、注意を喚起したくなる。
 
ただ、2月22日の新聞にある、東條首相が参謀総長兼任、嶋田海相軍令部総長兼任にはかなり驚いている。
はてさて、次回はいよいよ、19年後半になる。
風雲急を告げるとはこの事だが、どうなることやら。
 
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