この子が、あの有名な麗子だが、岸田劉生は自画像では自分そっくりに描いているのに、麗子はなぜ上から押しつけたような描き方をしているのだろうか。
物によっては少しひしゃげたような顔の作品もある。
3人の子を儲け62年に48歳で亡くなったようだが、子供たちはどうしているのだろうか?
本題を前に少し調べてみたがアメリカ社会に於けるプロテスタントの割合は、1955年に70パーセントに達し、それが戦後はもっとも高い数字だったとある。
では、戦前はどうだったのか。
いや、新大陸発見後の経過を辿ると、そもそも先に渡ったのはカトリックだった。
しかしその間、プロテスタント出現と宗教改革、続いて宗教戦争が起こり、1620年、メイフラワー号をきっかけとして新教徒が相次いで入植、先発のカトリックやインディアンと敵対しながら勢力を伸ばしていく。
そして1692年2月29日、マサチューセッツ州セイラム村で3人の女性が魔女として逮捕された。
魔女裁判は17世紀中頃には、ヨーロッパの多くの地域で衰退し始めていたにも関わらず。
その結果、200名近い村人が魔女として告発され、19名を処刑、1人が拷問中に圧死、5名が獄死した。
カトリック全盛のヨーロッパの話ではない。
プロテスタントの国アメリカで起こった事件として有名になった。
無実とされる人々が次々と告発され、裁判にかけられたその経緯は集団心理暴走の怖さを物語っている。
暗黒の中世、ヨーロッパ全土を襲った魔女狩りの怖さは拷問である。
例えばこんな風に。
必然的に自白せざるを得ない。
つまりは残虐無比な責めに遭い、苦しさまぎれに嘘を告白してしまう。
そして死刑、こんなバカな話がまかり通る社会だったわけで、一体に、ローマ法王庁はこれを是認して来たところからしておかしい。
一度、どれだけ悪逆非道な拷問が行われてきたか調べてみるといい。
ヨーロッパ全土で数万の人が殺害されたというではないか。
しかるに魔女として告発された人は全て無罪だったわけになる。
こんな大掛かりな冤罪事件は歴史上類例は見ない。
宗教とは拷問、死刑、戦争を齎す最悪な思想と言っても過言ではない。
いったい有史以来、宗教の名のもとにどれだけの人が殺されてきたか。
いやいや、ついつい熱くなってしまった。
ところで本書だが、あまりお薦めとはいえない。
少し専門的すぎる。
ノンフィクションにありがちな細部に亘って書かれているので、素人としてはそこまで書かなくてもといいたくなる部分が多い。
更に登場人物の多さと、読むに疲れるその人たちの経歴など。
時に、自分が何を読まされているのか分からなくなる。
だからといって、斜め読みや飛ばし読みなどしないタイプなので、やたら時間を喰う。
まあ、本読みとしてはこれも修行のうちとして諦めているが。
この写真は1945年に写された観光客の記念撮影だと思うが、魔女裁判が行われた場所でもあり、刑務所だったとある。
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これはどういうことなんだろうか?
向かってパンダの右腕あたりに少女の顔が写っている、心霊なのか、何かの反射、または現像のミスか。
心霊写真なるものを信じるかどうか、一概に否定するものではないが、しかし、全く公定しているわけでもない。
はっきり言えば、よく分からない。
非科学的、イコール信用するに当たらないと言えない見地だが、何とも判断が付きかねる。
このニュースばかりは世界中に配信され人類史上の悲劇といっても過言ではなかろう。
故にパリ市民にとって涙に暮れる一日になるのではないだろうか。
我々日本人にとってはこれに匹敵するような悲劇はなんだ。
・東大寺の大仏が焼け落ちる!
・法隆寺が全焼!
・姫路城が全焼!
・京都清水寺が全焼!
・平等院が全焼!
など、どれをとってもショッキングなニュースに変りわない。
今回の火事で、いったいどれだけ美術品が焼失してしまうのか、考えただけでも恐ろしい。
形ある物はいずれ失われる、なんて言った人がいるが、このようなニュースは聞きたくない。
国籍や民族に関係なく人類遺産は地球規模で考えるべきものだ。
我々現代人は、それらを後世の人に伝え保存する義務を背負っている。
然し、何たる悲劇だ!
800年近く守ってきた財産が燃え落ちようとしている。
映像を見ていても辛い。
少しでも美術品が残ってくれることを望む。
子供の頃、今では殆ど見ることが出来なくなった1956年作品の『ノートルダムの傴僂男』を見たことがある。
昔は差別用語だが『ノートルダムのせむし男』と書いたものだ。
ジーナ・ロロブリジーダとアンソニー・クインの出演で映画史の中では有名な作品だと思う。
ジーナ・ロロブリジーダは未だ存命で、今回の火災をさぞ悲しんでいることだろう。
願わくば、何処の国であれ、こんな悲劇のないことを祈るばかりだ。
ギターの上手い人に限って、よくフィージョン系の音楽を演りたがる人がいるが、私はクロスオーバーなどと言われていた昔から、あまりこの手もサウンドが好きではない。もともと、ブリティッシュ系の音楽で育った経緯もあるので相性が合わないのだ。
例えばリー・リトナーやラリー・カールトンはその代表例といえる。
古いところではウェス・モンゴメリー、またはジョージ・ベンソンなども好きとはいえない。
ロック少年だった私はリッチ・ブラックモアやジミー・ペイジの全盛期と共に歩んで来たので、彼らのレコードを聴かない日とてなかったが、二人が一線を退き、私も中年に差し掛かる頃からかブルース・ロックを聴くようになった。
そこで出会ったゲイリー・ムーア、どのジャンルのギタリストであれ、何れも劣らぬ天才揃いであることは分っているが、年を増すに従って、ブルース色がないとどうも物足りない。
そこに来て彼の泣きのギター・サウンドが何とも私を泣かしむる。
ラテン系のサンタナより数段いい!
ところで日本では泣きのギタリスト、ブルース・ギタリストといってもピンと来ない。
昔、78年に発売された中島みゆきのアルバムに『愛していると云ってくれ』というのがあったが、最高傑作ともいわれている。
私も当時、これを買った口だが、確かにいい!
参加ミュージシャンがまた素晴らしかった。
中島みゆき- Vocals
つのだひろ- Drums
後藤次利 - E.Bass
坂本龍一- Pf
増田敏郎- E.Guitar
斎藤ノブ- Lat
と最高の布陣だろう。
特に増田敏郎-のE.Guitarで聴く『化粧』が良かった。
しかし、飽きずに今なお聴いているギタリストがいる。
現在では日本でさえ名前を聞いても誰それ、と言われてしまうぐらいで、ましてや世界的には知名度ゼロ。
ハッキリ言って、この程度のギターなら誰でも弾ける、ただ、公式録音として残さなかっただけの話。
だがこの曲、知る人ぞ識る名曲で、このまま埋もさすには勿体ない。
当時、彼らは自分たちの音楽をブルース・演歌と名乗っていた。
聴いてもらいましょう、1976年3月5日にダウン・タウン・ ブギウギ・バンドがリリースした、通算6枚目のシングル【裏切りの旅】
「裏切り者の旅」ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 6thシングル from album "あゝブルース Vol.2" 1976年
二か月半ぶりに一色文庫へ行って来ました。
昨日は私の知り得る限り、一番お客さんが沢山来ていました。
商売繁盛、いいことです。
私も平成最後ですので、存分にくまなく店内を見て回り、厳選した結果、以上の10冊を購入しました。
古めかしい本ばかりです。
上の写真上段右は右読みで『随筆 竹』森田たま。
下の写真上段右は『失樂の庭』中川輿一、「輿」は与のことです。
まあとにかく清掃係のように売れない本ばかりを買ってきました。
ところで、その昔『名前のない馬』なんていう洋楽がありましたが、この店、写真を見て分かるように看板がありません。
店主の拘りなのか、表に「本 お売りください」とあるだけ。
おそらく、こんな古本屋は全国にここだけでしょ。
それと、やたらに椅子が多いのが特徴的。
お客にしてみれば大変ありがたい。
何せ古書店の棚には最下段まで本が詰まっているのでしゃがんで見るのも一苦労。
そこでお役に立つのが我が愛すべき椅子というわけです。
滞在は2時間半ぐらいだろうか、単行本が多かったため帰りは重たい荷物となり、二冊ほど買い残しもあったが、これ以上は重量オーバーになるので退散を余儀なくされ、それでも満足の態で帰宅。