愛に恋

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「子供を殺してください」という親たち 押川 剛

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日本では殺人事件の約半数が家族間で起きるという話を聞いたことがある。
確かに日々のニュースを見ていると夫婦、親子、親族の間でトラブルが起きることが多い。
子供に殺される親、夫に殺される妻、本当に予想外の結末が待っているわけだ。
 
本書に書かれているのは、精神科医療と司法の狭間にいるグレーゾーンの人達、子供の暴力や暴言に晒され、日々苦悩する親たちのために『精神障害者移送サービス』と精神病院退院後に生活の面倒などをみる『本気塾』を立ち上げ、家庭内暴力、ストーカー、強姦、殺人と舞い込む実例を基に、私には務まりそうもない仕事をされている著者によるノンフィクションになる。
 
我が子でありながら、「あの子さえいなければ家族は平和に暮らせていけるのに」という切実な悩みが書かれているが、実際、こういう家庭は現代の核家族制度の中では多いのかも知れない。
働かない息子を注意したら殺された、金を無心しに来た孫に殺されたというニュースもよく耳にする。
 
犯罪精神医学や司法精神医学といった学問があるとおり、グレーゾーンの問題を語る上では、精神障害と犯罪は切っても切れない関係です。
 
と著者も言っている。
知らなかったが1980年代に厚生科学研究班により「処遇困難者専門病棟」設立に向けて、実体調査が進められたとある。
 
「対応困難な症例や長期化した症例対しては専門病院の設立を検討すべし」
 
然し調査が人権侵害であることが指摘され研究自体が頓挫する。
確かに人権を侵してはならない。
だがこれはかなり難しい問題を孕んでいる。
ストーカー、家庭内暴力など警察に相談していながら結局は殺害されてしまう例など、こういう場合はどうしたらいいのか。
過去に何度も逮捕歴がありながら再犯を繰り返す。
 
誰か被害者が出るまで警察は動けない。
かといって人権団体が補償してくれるわけでもない。
弁護士は何かと言うと心神耗弱だった」と主張する。
場合によっては、それでも無罪だという。
 
つまり法治国家である文明社会では犯罪予備軍だけでは拘禁出来ない。
然し、分かっていながら事件が起きるのを待っているだけでは、矛盾がありはしないか。
海外では性犯罪を繰り返す人にGPSを埋め込むなんていう話も聞くが、これなどは到底日本では実現しそうもない。
人権団体の猛反発がありそうだ。
だが、人権、人権と吠え立てるが被害者の人権を考えていないのか。
 
申し訳ないが被害に遭うまでは動けません。
そんな馬鹿な。
まったく悩ましい問題だ。
日々のニュースを見ていると確かにそれに該当するような事例がいくつもある。
被害者遺族が「警察は何もしてくれなかった」と聞くたびに、いったいどうしたら良かったのか、こちらまで考えてしまう。
故に犯罪を犯す前に「子供を殺してください」となるわけだ。
著者は言う。
 
精神科医療と司法の狭間ににいる対象者、対応の難しいグレーゾーンの初動対応・介入・連携に当たれる全国防犯協会連合会のような公益財団法人のスペシャリスト集団を作ったらどうか。
行政機関が家族に対して「何かあったら警察に」と丸投げするばかりでは問題は解決しない。
場合によっては警察とて持て余す問題もある。
遺族は「もうこのような事件は二度と起きてほしくない」と述べているが、この世に二度と起きない犯罪などはない、と私は思う。
 
何れにしても法律は、きつ過ぎず、緩すぎず、そのバランスが難しい。
ましてや神ではなく人間が決めているだけに、同じ犯罪でも国によって刑罰が違うありようを話し合い出せば議論百出、容易に決まる問題ではない。
人権思想をモットーに民主主義社会は大いなる矛盾の上に成り立っているのだろうか。
 
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東京2020:あと1年 「英会話篇」


東京2020:あと1年 「英会話篇」 60秒 【<みずほ>公式】

このCM最高でしょ!

上手い、誰が考えたのか最近一番好きなCM。

役者も上手いが60秒の中にきっちり情報を詰め込んでいる。

なかなか難しいよね、こうセンスの良い映像を作るのは。

ホント、上半期のCM大賞を決定・・・なんて。

Tsai Chin ♬夜來香


Tsai Chin ~ 夜來香

蔡琴:Tsai Chin:ツァイ・チン、民族の女王などと言われていれらしい。
雰囲気あります。
誘われたら断れません(笑
  
夜になると香る花、夜來香を写真でしか見たことがありません。
大戦末期の昭和20年6月、李香蘭は上海でコンサートを開き、その時、観衆に向かって語りかけた。
 
「夜来香の香りもやがて消える。今の内に楽しみましょう」
 
戦前、戦中と青春時代の多くを上海で過ごした父、この時28歳。
果たしてこのコンサートを見ていただろうか。
父はアコーディオン奏者で現地語も堪能だったので或いはなんて思ってもみる。
しかし軍務に忙しく戦闘中、重傷を負ってそれどころではなかったかも知れない。
 
ところで曲の2小節目にある「那夜鶯啼聲輕唱」という歌詞。
訳すとナイチンゲールは軽やかに唄っている」という意味らしい。
ただし、クリミア戦争で多くの看護婦を率いて傷病者の救護に当たったあのナイチンゲールではない。
鳥のナイチンゲール、つまりウグイスのことで、日本の歌詞だとこうなる。
 
あわれ春風に 嘆く うぐいすよ
月に切なくも 匂うイエライシャン(夜来香) この香りよ

日本語訳は佐伯孝夫さん、あの『有楽町で逢いましょう』『いつでも夢を』などで有名な方です。
しかしいい曲ですね!
この綺麗な発音がまた素晴らしい。

 

ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド


Rockin in the free world. New concert: may2020 https://www.facebook.com/groups/DGBVN/

まったく羨ましい限りだ!

老いも若きも一緒になって歌える曲があるなんて。

鶴田浩二じゃないが、わが国では右を向いても左を見ても真っ暗闇じゃござんせんか。

いったどこにそんな歌がありましょう。

ましてやこんなにノリノリで子供から年寄りまで楽しめる曲があるなんて。

この曲、30年前にニール・ヤングが歌ったもの。

 

昨今、平成の御代が終わりを迎えるにあたり、「平成とはどんな時代だったのか」なんていうフレーズを元にいろんなことが言われているが、私の中では日本語らしからぬ日本語が氾濫した時代だったということか。

例えば最近頻繁に聞く「勇気を貰った」「元気を貰った」なる単語。

これって文法的に合っているのだろうか?

「勇気を貰った」とは確かに意味合いとしては分かるが、貰って、そしてどうなった?

だから何だ!

私の場合、例えばコンサートへ行ったとする。

感想は感動したかしなかっただけしかない。

或いは楽しかった。

別に勇気や元気など貰った覚えは嘗てないのだが。

ライブでいくら感動しようが明日からはまた平凡な現実が待っているだけだ。

長渕も以前同じようなことを言っていた。

人生なんて、その一瞬に懸けるため努力をする、終わってしまえば祭りの後の何とやらで、それでいいと思う。

そして次の目標を探せばいい。

動画にあるようにみんなが連帯感を持って、この一瞬を楽しめばいい。

日本のおばちゃんは直ぐ帽子やマスクでガードするが、やはりそれでは解放感がない。

知り合いでも何処の誰か分からない恰好が日本では大流行だが、どうも私は馴染めない。

第一、マスクを掛けてロックを歌っている人など見たことがない。

まあ、愚痴っぽくなってきたのは年の証拠だ、お許しあれ。

 

 

『女たちへのいたみうた』金子光晴

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時に歌人は女の尻を追い、画家は女の裸体を描き、詩人は心を女を開け放つ。

まあ、それはともかくも、金子光晴の『女たちへのいたみうた』は素晴らしい。

 
あゝ、けふもゆきずりの女たち、
みしらぬ女たち、ことばもかはさず
まためぐりあふ日もない女たち。
うき雲のやうに彩られて
こころに消えぬ女たち。

その誰と住んでも年月はとび去り
おなじやうに生はからっぽだらう。
放蕩よ。つかひへらした若さは
こぼれた酒とおなじで、ふたたび
このこころを沸かすすべもない。
 
おしろいにまみれた裸虫さん。
まだあったかい牛乳壜さん。
ねどこのうへにこはれたせとものさん。
二十年前の匂やかだった女たちのやうに。
二十年後は、若いあなたも老いてゐるか。

私は、かなしげに眼をつむる。蒼穹のふかみ
おびただしい石の円柱が倒れる。
退場するもののすさまじい鳴響。
さかさまにながれる『時』の血流のなかで、私は叫ぶ。
「一千万人の女たちよ。さやうなら」

どこのどなたさんで?

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ひぇ~~~!

卒爾ながら、何処の何方でしょうか?

如何にも悪女っぽい艶姿、ここまで徹するとカッコよすぎます。

安っぽい笑顔なんかないところがまたいいですね。

ま、まさかこれで街を闊歩するわけですか!

そりゃないよセニョリータ。

いやぁ・・・それにしてもお見事。

アナタみたいな女性を連れて歩く場合、男はどんな格好をすればいいのですか。

早速、Tシャツなんか破いてみます。

 

 

マリー・アントワネットの首 1793年10月16日 (37歳)

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扨て、これがマリー・アントワネットの首だというが、果たしてどういうことなのか。

単に誰かが想像として作った物なのか、まさか本物の首を石膏したわけじゃあるまいが、確かに下の説明書きにはMarie Antoinetteとある。

しかし、見るからに妙なリアル感は心胆を寒からしめるには充分だ。