それもこれも、
梯久美子が去年出版した大著『
狂うひと ─「死の棘」の妻・島尾ミホ』を読むというミッションに駆られたことに他ならない。
『妻への祈り -
島尾敏雄作品集』『海辺の生と死』と読んで、 今回が第三段『死の棘』ということになる。
しかしまだ、『
島尾敏雄日記―『死の棘』までの日々』『死の棘」日記』と読み計6冊読んで完結と計画しているので先が長い。
狂う人、いや、狂った人に憑りつかれてこんな本を読んでいるが、一体、
島尾敏雄夫婦に何があったのか、私なりに解明しなくては気が済まない。
ところで、『死の棘』という本を誰かに薦めたいとは思わないが、理由として、実に陰鬱な気持ちになることが、その一つに上げられる。
他に島尾文学の文体にある。
どうしてこのような形態をとっているのか知らないが必要以上に平仮名が多い。
小学校で習うような漢字も敢えて平仮名で書いている。
更に閉口するのは改行が殆どなく、句点が少ないため読み辛い。
とにかく620頁に及ぶ文庫本は文字がぎっしり。
その為、10日間という日数を要してしまい、些か疲れた。
書かれていることは徹頭徹尾、妻の嫉妬と狂気。
夜を徹しての詰問。
諍いが高じて死ぬだ生きるだと際限のない争い。
もみ合い、掴み合い、取っ組み合い、両者、平手打ちの応酬。
何故、こんなことになってしまったのか。
妻ミホを狂気たらしめたのは、夫島尾の浮気が原因だが、どうも、約10年間に渡って島尾は外に女を作っていたらしい。
それをあろうことか、島尾が付けていた女との情交を記した日記をミホが読んでしまったことから際限のない争いが始まり、如いてはミホを発狂させる原因になってしまった。
しかし、どうだろうか。
古今東西、夫の浮気など珍しくもないが、それが原因で妻が脳に障害を来し、精神を病み入院まで発展するなどは、あまり聞いたことはないが。
問題が起きたのは昭和29年夏頃からとあるが、以来、この本は16年の長きに渡って書き継がれたものらしい。
思うに特攻隊長だった島尾が昭和20年8月13日、出撃を前に自決を覚悟したほどのミホは戦後、一途に島尾だけを愛したのだろう。
いや、愛し抜いたと言った方が正確なような気がする。
そのミホはこんなことを言っている。
「この手もこの足もみんなあたしが養ってつくったんだ。あたしが栄養に気をつけなければ、あなたはとうの昔に死んでいました。誰にも渡したくない。渡したくない。渡したくない。それなのにあなたはこのあたしというものを捨てて勝手なことをしていたのです。それもひと月やふた月じゃないの、十年ものあいだよ。がまんして、がまんしてきたのに、とうとうあたしは駄目になってしまいました」
二人には一男一女の子供が居るが、夫婦の間に諍いが始まると子供達は決まってこう言う。
「カテイノジジョウ、カテイノジジョウ」
島尾は、いつ始まるか分らないミホの発作に慄き、時に家を飛び出し、ベルトで自らの首を絞め、または拳骨で顔を殴り錯乱する。
逆にミホは電車の中や路上でも平気で島尾を殴り、女との10年間の行いを洗いざらい吐けと迫る。
一緒に風呂に入ったか。
物を食べながら一緒に歩いたか。
女に送った手紙を取り戻して来いなど、思いつくまま難題を吹っ掛ける。
毎夜、しかと抱き合ったまま寝たかと思えば、一転、一睡もしないでなじり出す。
病気は治った、もう昔のことは言わないと言ったかと思えば、あれはどうなった、これはどうなったと際限もなくぶり返す「カテイノジジョウ」。
いくら自分の浮気が原因とは言え、こう針の筵のような環境では、私なら到底堪えれるものではない。
しかし、逃げ出せば、必ず妻は自殺する。
もう、どうしたらいいのか。
こんなような記述もある。
「妻は夫を体で確かめようとする。
夫は強い緊張感があって心が安まらないから、あせって失敗しがちなのだ。
するといっそう猜疑のこころが起こり、夫から確かめを得るまではなんどでもためそうとする。火がつくと発作にはいることをくりかえす」
この件(くだり)はよく解りますね。
まだ、自分に愛情があるか否かを確かめる為に体を求める。
独占欲からも体を求める。
しかし、夫はセックスを義務として受け入れなければならないと思うと、どうしても思うようにいかない、いや、苦痛でしかない。
それを見た妻は、夫の心が離れたことを知り逆上する。
この時点でミホは常人の域を出て嫉妬に猛り狂っているわけだから、その様相が目に浮
かぶようだ。
更に。
「あたしも女ですからね。二年も三年もひとりぼっちにして置かれて、黙っている妻がどこの世間にあるでしょう。あたしだって、あなたから満足を与えられたことはないのよ。妻のことばはいつ尽きるとも見当もつかない。そばを立つと、逃げるな、と言い、あぐらをかくと、正座してききなさいという」
ミホの発作は時間も場所も関係なく始まり、際限もなく続き、いつ終わるとも知れない。
そして。
「あなた、オギノ式の研究をしていたわね。あたしにも、その避妊法を教えてちょうだいな」
私は青冷め、からだがわなわなとふるえてくるのがわかる。このやりとりの行き着く先がどんなところかは明らかなのだ。
浮気相手の女の存在を恐れるかと思いきや、逆に殺しかねないような権幕になり。
寝ているところを起こされ詰問が始まり暴力沙汰になる。
挙句、絶食して死ぬと言い出す。
島尾も反撃に出る。
「おれのやったことなんかどうだってんだ。そんなに気に入らないなら、殺すなりなんなりすればいいじゃないか」
しかし、愛すればこその結果がこれなら、何か悲哀を感じずにはおれない。
何とか、宥めすかし、元の鞘に納めようと努力する夫。
元の鞘に納めたければ何もかも白状して、もっと誠意を尽くし愛情の限りを私に注げと言わんばかりのミホ。
そして、こんな言葉があまりにも哀しい。
寂しさをおさえてすがるような目なざしを送ってよこした妻のすがたが焼きついてはなれないのだ。この世で頼りきった私にそむかれた果ての寂寥の奈落に落ちこんだ妻のおもかげが、私の魂をしっかりつかみ、飛び去ろうとする私のからだを引きつけてはなさない。妻が精神病棟のなかで私の帰りを待っているんだ。その妻と共にその病室のなかでくらすことのほかに、私の為すことがあるとも思えなかったのだ。
悲しい、本当に哀しいね。
もし、私が島尾だったら。
もし、私が二人の友人だったら、いったいどうしただろうか?
そんな問いを残す作品だった。