明治以降、東京は二回も灰燼に帰している。
即ち震災と戦災なり。
許せないのは戦災だ。
東京のみならず我が国土の大半を焦土と化した無差別爆撃は、非戦闘員たる無辜之民が暮らす市街地に雨あられと爆弾、焼夷弾を落とすという無差別殺戮で、これが戦争犯罪に当たらないという矛盾。
本写真集には戦前の昭和10年代前後から戦時中、そして戦後にいたる東京が、著者本人が撮った写真と共に掲載されている。
だが、その10年後、まさか帝都が焼け野原になるとは思ってもいない市民の憩いの場、銀座など、長閑で平和を享受する人たちが映し出されている。
そこにはまだ、国民服もモンペもない安らかな時が流れたいたはずなのに。
既に満州事変は始まっていたが、国民にとって戦争は実感としては湧かなかっただろうに。
サイパンが絶対国防圏だというなら、そのサイパンが落ちた時には講和を考えるべきではなかったか。
サイパンが落ちるということは、本土爆撃の可能性があるということなのだ。