愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

「リベラル」がうさんくさいのには理由がある 橘玲(たちばなあきら)

f:id:pione1:20200303185149j:plain

 著者は最初のお断りとして、私の指示する政治思想はリベラリズム自由主義)です。

故郷に愛着と誇りを持つという意味での愛郷心はありますが、国(ネイション)を自分のアイデンティティと重ねる愛国主義ナショナリズム)はまったく肌に合わず、国家(ステイト)は国民が幸福になるための「道具」だと考えています。

 

そういう思想の基に本書は書かれている。

読む動機となったものは、最近、俄かに使われ出したリベラリズムとは何ぞやということで、ニュースなどで見るに、どうも保守に対する対抗勢力という印象だが。

さて本題だが、著者が大学2年生だった1979年、日本を代表する経済学者でノーベル賞にもっとも近い日本人といわれた森嶋通夫氏の平和論が話題になたという。

日本は非武装中立だから自衛隊そのものが違憲という立場で、だったら敵が攻めてきた場合どうするのかという73年の、長沼基地訴訟で、自衛隊違憲とした札幌地裁の裁判官の判決に触れている。

 

たんに平和時における外交交渉にとって外国から侵害を未然に回避する方法のほか、危急の侵害に対し、本来国内の治安維持を目的とする警察をもってこれを排除する方法、民衆が武器をもって抵抗する群民蜂起の方法もあり、さらに、侵略国国民の財産没収とか、侵略国国民の国外追放といった例もそれにあたると認められる。

 

わたくし駄目男は、この判決文を何度も読み返し理解するに及んで、裁判長に問いたい。

すると何ですか、こちらは竹槍、鍬、鉈、ピストルなどを持って、上陸する敵の戦車、装甲車と闘い、敵兵力は重爆撃、艦砲射撃などで応戦するに、見事、民衆の力で敵を海に追い落とし、強いては敵国の財産まで没収するということですか。

なるほどね、さすがに裁判長閣下の考えることは違う。

そして森嶋教授が79年に「新軍備計画論」を打ち出す。

 

万が一にもソ連が攻めて来た時には自衛隊は毅然として、秩序整然として降伏するより他ない。徹底抗戦して玉砕して、その後に猛り狂ったソ連軍が殺到して惨憺たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得する方が、ずっと懸命だと私は考える。日本中さえ分裂しなければ、また一部の日本人が残り、日本人を拷問、酷使、虐待しなければ、ソ連圏の中に日本が落ちたとしても、立派な社会、たとえば関嘉彦早大客員教授が信奉する社会民主主義の社会を完全にとはいえなくても少なくとも曲りなりに、建設することはこのうである。

 

つまり、自衛隊などは、そもそも無用の長物、金喰い虫だと。

だから、敵が攻めて来ても戦わず武装解除して降参すれば、敵も無闇なことはしまい。

全部上げるから持っていって、今までの訓練も時間の無駄、我々日本人は民族としての誇りもないし、世界中から物笑いの種となっても構わない。

これからは共産主義国家として生きて行けば誰も死ななくて済む。

なるほどね、大学教授の思想は私には解らないほど凄い!

 

ところで共産党憲法第九条の絶対護持の立場をとっているが、昭和21年の憲法改正草案の衆議院本会議の審議で野坂参三議員は反対の立場をとっている。

我国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする、それ故我が党はこの憲法に反対すると明言している。

つまり今とは逆な発想をしていたことになる。

それがいつの間にか、反対から賛成になってしまった。

そして現在でも残念なことにこんな事を言う人がいると著者は書く。

 

自衛隊違憲ですべての軍備を放棄すべきだ」という暴論を大真面目に唱える人が、この国にはまだたくさん残っています。この人たちは「敵が攻めてきたら降伏すればいい」とか「国民一人ひとりがパルチザンになれ」とか、でたらめな理屈をいい散らかしてきた。

 

パルチザンになってどうする。

自衛隊から武器を分捕ってゲバラみたいに山に籠るか?

さらに続けて!

 

東アジアで起きているさまざまな紛争の震源は、世界第2位のGDPを持ち、13億の国民を抱え。共産党独裁という異質な政治体制をとる中国の台頭にあります。それが平和的なものになるか、軍事的な脅威となるかで周辺国の運命は大きく変わります。このような視点が欠落した安全保障の議論にはなんの価値もないのですが「平和憲法を守れ」と叫ぶひとたちがこのことに気づくことは、残念ながら永遠にないでしょう。

 

そこですよね、そこ!

毎日、ご本尊に向かって、お題目で家内安全を唱えていれば、永遠に我が家には不幸は訪れない。

交通事故に遭ったり病気になる人は年始のお詣りに行かなかったからだ。

隣の住人が理不尽にも我が土地に乗り込んで来ようが、鉄砲を撃ち込もうが、とにかく話し合いで解決する。

同じ人間同士、たとえヒトラーでも根詰めて話し合えば解ってもらえる。

素晴らしい!

そして日本人の歴史観については。

 

日本人の歴史観が奇妙なのは「軍部や政治家が国民を戦争に引きずり込んだ」という話にいつのまにかなっていることです。現代史を少しでも勉強すれば、事実はまったく逆なことがわかります。

日清戦争で台湾と賠償金を手に入れて以来、日本人は戦争で支配地域を増やすことが「得」だと思い込み、利権を手放すことにはげしく抵抗しました。こうした国民のエゴイズムを一部の軍人や政治家が権力闘争に利用し、新聞が部数増のために煽り立て、「愛国」の名の下に国家を破滅へと引きずり込んでいったのです。国民が戦争を求めたからこそ、国は戦争をしたのです。

 

満州事変以前のことだと思うが、よく満州さえ手に入ればな」と言われていたと何かで読んだことがあるが、まあ、戦争がなぜ起きたか、またはなぜに戦争に突き進んだかはいろんな要因があり過ぎて一言では語れないが、メディアが戦争を煽ったことは事実でしょう。

更に植民地への謝罪についても縷々書かれているが、西欧がかつての侵略行為について謝罪してないことも述べている。

それに関してはとにかく西洋史はおかしい。

スペインの中南米に対する侵略、略奪、王国の滅亡に到った行為などはどうなんだ。

西欧諸国は全て責任があるのではないか。

元よりアフリカ諸国に対しても。

アメリカのハワイ併合はどうなんだ。

先輩方のお言葉を訊いてみたいものだ。

 

更に戦争責任についても複雑な要素をはらんでいる。

確かに日本軍が真珠湾を奇襲攻撃した。

然し、その見返りはあまりにも凄惨で激しかった。

全国が焦土と化し、未曽有の原爆投下。

戦争を仕掛けた側なのでこのぐらいは当然なのか。

ドイツでの惨劇も史上稀に見るものだ。

ソ連軍によって200万人も女性がレイプされ、ドイツ領土の4分の1がポーランドに割譲され、この結果、1000万人以上のドイツ人が追放、リンチや強姦などで210万人が死亡、または行方不明とある。

凄まじい報復行為で、これらの被害体験を根拠にドイツ軍が侵した加害行為を謝罪する人は、殆どいないとか。

ユダヤ人に対しては謝るべきところだが、ロシア人に対する怒りは骨の髄まで達しているのだろうか。

著者は言う。

 

私たちは「自分の感情に正直であるべきだ」と思っています。しかし人種差別や性差別をいまだ克服できないように。進化の過程で生まれたプログラムのなかには現代社会にとってきわめて不適切なものがあります。’’あるがままに生きられる世の中’’とは1990年代の旧ユーゴスラヴィアのように、宗教や民族に分かれて際限のない殺し合いがつづく地獄のような世界かもしれません。

「政治のもっとも重要な役割は、ヒトの進化論的な歪みを矯正し、差別や暴力を抑制することです。

 

確かにそうだ。

然しどうだろうか、このあたりまえのことが人間社会で達成することはほぼ不可能だ。

政治家も汚職をすれば教師や親も差別や暴力を行い、時としてわが子さえ殺す。

何でも肉親関係の殺人事件が最も多い件数だと読んだことがある。

人間の欲性を統御しているのは法律であり警察でもある。

犯罪は人間の習性ではないのだろうか。

長くなっているが、更に興味深い事が書いてあるので続けたい。

日本では覚せい剤などドラックは厳しく取り締まられているが、欧米の中ではマリファナなど合法化されている国もある。

驚くのはノーベル賞経済学を受賞した人がハードドラックも合法化してしまえばいいと言っている。

中南米アメリカなど、いくら取り締まっても埒が開かず、毎年、膨大な数の人が殺されている。

その結果、巨額の税金を投じて刑務所に送られる数の囚人。

米国の調査だとハードドラックの体験者のうち95%は依存症になる前に止めており、医師の中でもアルコールの方が問題だという人もいるぐらいで、さすれば解禁にした方が税金の無駄使いが減り、麻薬戦争も暴力団の資金源となることもなくなり、煙草と同じようにドラッグが店で売っている状態のすればいいと。

結局のところ人間は何かに依存して生きている。

セックス、恋愛、趣味、仕事、ギャンブル。

世界の法律もまちまちでスイスには安楽死ツアーなるものもあるらしい。

オランダ、ベルギー、ルクセンブルク安楽死が合法化されている。

これには私も大賛成だ。

 北欧などでは「個人の自由を最大限尊重し、人生は自己決定に委ねられるべきだ」という新しい社会常識が進み売春、マリファナ安楽死が合法化され、この流れはますます広がりをみせている。

然し日本では、これらのことが国会で審議されることは、まずあるまい。

話を戻すが、以前、戦争法案反対なる左派系のおばさんたちが署名運動をしていたところを通りすがった時、案の定、署名を求めて来たので断った。

そしたら、そのおばさん「戦争が起きてもいいのですか」と問うてきた。

それはおかしい、私が署名しなかったから戦争が起きる。

今の時代、日本が戦争するなど滅多やたらと起きるものではない統治機構になっている。

然し、例外はある。

尖閣を占領された場合と、ミサイルを撃ち込まれた時、これで何も報復をしなければ何のために軍事予算を拡張してきたのだ。

著者とは少し思想を異にするが、伊藤博文の如く、この時を死に場所として老兵なりとも一兵卒として参戦するね。 

 

ポチッ!していただければ嬉しいです ☟