自分をつくる 臼井吉見

 
臼井吉見さんの作品には安曇野という大作があるが結局読んでない。
唯一、この人の作品で読んだのは川端康成の死の原因を追究した『事故のてんまつ』という本だけだが既に絶版になっている。
『自分をつくる』というタイトルから分かるよに、私には似つかわしくない本で、本来ならこの手のものは読まないのだが、先日読んだ荻原魚雷さんの『活字と自活』に紹介されていたので興味を持ちamazonで取り寄せ一読。
 
つまりは昭和40年代の前半、学生相手に語った講演集でちょうど私の年代が、その学生に当てはまる。
戦争体験のある氏はどちらかと言うと左寄り、全ての事に関して辛口で手厳しい。
 
驚くのは教育の荒廃という言葉が使われているが、私の学生時代、既に教育は荒廃していた訳か。
本書を読もうと思ったきっかけは読書に就いて書かれていることで、私にとってはとりわけ大きかった。
魚雷さんが関心した件そのままに引用したい。
 
「すぐれた本というのは、はっきりしてますよ。時間という、偉大な批評家に合格したのが、すぐれた本です。われわれのような人間の生き身の批評家なんてものは、いい加減なもので、間違ったことばかり言っていますが、時間という厳しい批評家の手にかかると、悪いものは必ず退けられ、いいものだけが必ず残る」
 
「五十年たっても、まだ値打ちのある本は、大まかにいって、時間という、偉大な批評家の目に合格したと考えていいでしょう」
 
しかし、
 
「天下公認の優れた本を読めば、文句のない栄養がえられるかというと、そうもいかないのがおもしろいところです」
 
確かに仰る通り、言い得て妙ですね!
見識が深い。
私は古書店巡りが好きだと何度も書いてきたが、一端、その世界に足を踏み入れたら最後、抜け出すことが出来ないほど面白い分野と思っている。
紹介ではこんな御仁がいると。
 
串田孫一という人が12年かけて一冊の本を追い掛けた。
それは江戸時代の教養人、鈴木牧之(ぼくし)という人が書いた『秋山紀行』という書物で、あるか無きか分からないようなものを12年間かけて探し当てたと。
読みたい一心で、まるで親の仇を探し当てたかのような感動的な対面。
実に興味を惹かれる人物だ。
 
血眼になって探すというほどではないにしろ、私も何冊か探し求めている古い本があるが、下手をすると一生、お目にかかれないかも知れない。
とにかく臼井さんは乱読の勧めと正しい日本語の使い方、このことには特に煩い方のような印象を持った。
 

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