居眠り狂志郎の遅読の薦め

喰う寝る読むだけの素浪人です

夢二日記〈1(明治40年~大正4年)〉

 
幕末以降、多くの人の日記が刊行されているが、大別すると二種類に分かれる。
死後、公開されることを想定して書かれている場合と、そうでない場合。
例えば啄木のローマ字日記の中には、他人に読まれてはまずいという記述がある。
女郎相手の話しなので、ここでは書けないが、焼却されずに残ったことで啄木の死後、妻に読まれたようだ。
 
一方、政治家や軍人の日記には歴史的文献として後世、人に読まれることを想定して書かれている場合が多い。
で、今回、古書市で見つけた夢二日記の第一巻を読んでみた。
可もなく不可もなしと言う感想で、とにかく解り辛い。
文藝の面では荷風の日記が夙に有名でコラムなどにも引用されるが、その所以は時事ネタの多さではないかと思う。
勿論、女好きゆえ、自慢話しのような記述もあるが、軍部嫌いの荷風は敏感に時局を捉え、適格に書き残している。
だが、夢二日記には時事が一切ない。
 
画業の記述もあるにはあるが、専ら女のこと、妻他万喜と愛人彦乃に関することが多い。
荷風と違い、政治や軍事にはあまり関心がなかったのだろうか。
他方、才能ある詩人としての書き込みも随所にあるが登場人物が解り難い。
例えば他万喜の呼び名が変転目まぐるしい。
 
姫様、先生、たまき、家刀自、M、Tさんと、これが全部他万喜の別称で、他の人物に対しても同じく統一名がない。
自身の事も英語でIと印している。
更には脈絡に乏しく連続性もなく散漫的文脈。
公開、非公開、どちらを想定していたのかよく判らないが、ともあれ夢二日記が初めて公になったのは、その死後、友人の有島生馬が藤村のところに持ち込み、昭和9年11月号の雑誌『改造』に掲載されたことに始まる。
藤村は書く。
 
「有島生馬がこの日記をわたしのもとに携えて来て、これを公にしたいと言はるるままに、いささかの言葉をここにしるしそへて、竹久君が数奇な生涯をしのぼうとするものである」
 
だがどうだろう!
併しと言うかやはりと言うか、夢二日記はファン、または研究者には必須必要なものかと思うが内容を理解精査するには一般読書人には少し無理がある。
勿論、夢二が何を書こうが彼の勝手。
微細に知りたければ研究せよということだが、やはりそこまでは出来ない。
しかし、以前から気になっていた事柄を大正3年の記述から発見した。
 
男は愛する児の口から「かあやちゃんと東さんとパパさんのゐないときにねたよ」
と聞いて「さうかえ」とばかり言ってだまったしまった。
 
東さんとは東郷青児のことで当時19歳の学生。
つまり妻他万喜と東郷の浮気現場を子供が見たと言っているのだが、他の本によると、その場に夢二が踏み込んだと書かれているものもあるが実際はどうなんだろう。
終わりに文才ある夢二を少し紹介したい。
 
「今日も、アンマがたよりない笛を吹きならして長崎の方からやって来た。別荘の下へ来ると、そこへ暫く立ってピューピューっとはりあげて吹いておいて、海の音を傘でよけて耳をかたぶけて聞いてゐる、何の答へもないと、またピューとやる」
 
確かに目に浮かぶような情景描写で上手い。
 
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