この言葉は今の広辞苑にも載ってない難解な漢字で、類語として「晡時」という字なら載っているが「晡下」はない。
小津安二郎の日記には以下のような記述がみられる。
「晡下出社、別に用もなければ月ヶ瀬にて黒麦酒をのみて薬局、本屋によりて帰る」
昭和28年6月12日。
その前日には、
「晡時、帰る。駅前本屋にて荷風全集前期十二冊購ふ」
「晡下」なんて聞いたこともないし読めもしない。
これは「ほか」と読むらしい。
「晡」という字が申という意味で、つまり申の刻あたり。
現在では夕方の4時ぐらいに相当するとか。
しかし明治の言葉はどこまでも奥が深い。
これ以前の小津の日記にはこの「晡下」という字が登場しないということなので、まさに小津は荷風の影響を受けてしまったと取られても仕方ない。