愛に恋

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無名仮名人名簿 向田邦子

森繁久彌には有名な楠木正成と正行(まさつら)の「桜井の駅の別れ」を河内弁でやるという抱腹絶倒の絶品芸があったらしい。「正成涙を打ち払い、我が子正行を呼び寄せて、父は兵庫に赴かん、彼方の浦にて討死せん、いましはここ迄来たれども、とくとくかえれ故郷へ」青葉しげれる桜井のでお馴染みの「大楠公」だが落合尚文作詞だけあって、実に格調高い。楠木正成は600年も前の河内国守護職なので親子は「おんどりゃあ」と河内弁でまくし立てていたかもしれない。いちど聞きたかったが、向田邦子も聞いたことがないらしい。彼女は教養があってせっかちでせこい。万年筆も使い込んで使い込んで先が丸くなったのが好きで、そういう物を見つけると、恫喝、泣き落とし、ありとあらゆる手段を使ってせしめてしまう。男に対しての評価も厳しい。現代社会はバラエティー番組を見ていると、こちらは面白くないのにタレントたちはひっきりなしに笑っている。併し、戦前の男は笑わなかったという。先生、父親、お巡りさん、兵隊さんも笑わなかった。昔の武士は「男は年に方頬」1年に方頬でフンと笑えばたくさんだといったそうだ。戦後、民主主義は男が笑う社会を持って来たと。まあ、確かにへらへら笑ってばかりいると男らしさに欠け、軽薄で威厳もない。人間、ある程度の年になると怒ってくれる人がいなくなるが故に、彼女の文章は小気味よく、時に辛辣で時におっちょちょい、そこがまた魅力なんだろう。