愛に恋

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「ムーンライト・セレナーデ」 徳川家茂薨去

福井藩医で松平春嶽が送り込んで徳川家茂を診察させていた蘭方医の半井仲庵が、慶応二年七月十四日、家茂の容態を知らせている。「去る七月九日伯州様のご一件、本荘宗秀の単独講和工作をお耳に入れたところ、御激怒されて容易ならざる御気色(みけしき)になられ、召し上がられた物を全部嘔吐されました。その後なんとなく不快なご気分が続き、十二日頃から昼も夜もご不眠、神経が痙攣する症状を発して精神ご静謐なく御床、御枕などをしきりにお取り替え遊ばされています。ただただ案ずべきご容態でございます。典医一統これは脚気症ではなく、リューウマチス転変症と胃腸の不調との合併症だろうというのが医案(治療所見)でございます。同年7月20日に家茂は薨去した。享年21(満20歳没)。若干20歳で国の統治を司る侍の凄さ、今では考えられない。家茂は死に際して徳川宗家の後継者・次期将軍として田安亀之助(慶頼の子、後の宗家第16代当主・徳川家達)の指名を遺言としたが、亀之助が当時わずか4歳だった。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。ガザの地上侵攻はいつなのか、ウクライナの東部は著しく悪化とウクライナ軍高官がいっている。我がダメオ・コーポレーションのスタッフは中東に散って情報収集に躍起になっている。おやすみなさい、また明日。