愛に恋

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日本の偉人伝 Part.7 

安部公房です。もう少し長生きしていたらノーベル文学賞を受賞したと思うのに本当に残念だ。

東山千栄子

「今日の一枚」はこの人です。石橋湛山明治17年9月25日 - 昭和48年4月25日)、第55代 内閣総理大臣。1956年12月23日 - 同年12月27日(総理兼任)と在任期間は65日と短いかった。吉田茂内閣の蔵相に就任してからも、石橋湛山は占領軍と激しく火花を散らした。占領軍による野放図な財政支出に異を唱え、戦時補償の打ち切り、国債の利払い停止などで正面衝突。占領軍からの回答は、1947年5月16日付の公職追放処分にもなった人です。

京都時代から中原中也と同棲していた長谷川泰子は上京後まもなく、小林秀雄の元に走ります。中也はその引越を手伝ったそうです。グレタ・ガルボに似た女コンテストに当選した美女でした。

明治42年5月5日の今日は中島 敦が生まれた日です。原節子も通った横浜初の女学校、横浜高等女学校で8年間国語の教師として勤務していました。明るく人気のある教師だったようで、写真は雑誌部の新年会(1937)です。 右の男性が中島です。

懐かしいですね近衛十四郎さんです。肩に乗ってるのが、後の松方弘樹さん。抱き寄せられているのが目黒祐樹さん。松方弘樹は大人になっても父のことを近衛さんとしか呼べないと言っていました。近衛さんは太刀裁きの上手い人で多くの映画とテレビドラマで活躍していたが、酒豪のために命を縮めた。品川隆二と組んだ『素浪人 月影兵庫』と『素浪人 花山大吉』は傑作だった。

北杜夫はさんです。1981年に自宅を領土とし「マンボウ・マブゼ共和国」の独立を宣言し、国歌や国旗も備えていました。娘さんが書いた『パパは楽しい躁うつ病』という本があるが、これがなかなか愉快だ。独立宣言をした日は多くの友人など招き高らかに宣言書を読み上げた。なかには遠藤周作さんなど作家友人も。

1903年5月23物は童謡作詞家のサトウハチローが生まれた日です。母への想いをうたった詩の他、戦後初のヒットソングとなったリンゴの唄の作詞や、ちいさい秋みつけた、かわいいかくれんぼなどの童謡の作詞で知られていますが、実際は母への想いというのは空想の産物で、そんな優しい母への想いはなかったということです。佐藤家の家庭は相当荒れていましたから、そんなこともありえるのかなとも思っています。

今日の一枚」はこの写真です。分かりますかね、昭和36年に21歳で事故死した赤木圭一郎浅丘ルリ子です。赤木圭一郎の映画など見ていると、昔の人は老成していてとても20歳ぐらいとは思えません。昔は早く大人になりたいという願望があったようですが、今の時代はいつまでも若く見られたいという逆転現象があるためか、とにかく幼いことがモテるのでしょうか。