愛に恋

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眩 朝井まかて

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盲目の娘を通して描かれた『阿蘭陀西鶴』、水戸天狗党の領袖武田耕雲斎の妻で、維新後「萩の舎」を主宰した中島歌子を主題にした『恋歌』、そして今回の『眩』は葛飾北斎の娘葛飾應為を扱っているのだが、この人の作品はどれも素晴らしい。
まるで江戸時代の戯作者が書いたようで違和感がない。
私にとっては司馬遼太郎吉村昭亡き後は、筧久美子か朝井まかてというところだろうか。
 
ところで、葛飾応為に関しては生没年不詳、北斎の三女という以外、どんなことが分かっているのだろうか。
作品も10点程度が残っていると言うが、少しばかりの資料を基に物語を膨らませ、応為らしい人物を形どっていく作業、そこが作者の腕の見せ所なのだろうが、その確かな筆致と技量にはに痛く納得させられる。
絵に関しても造詣が深いようで、とても素人とは思えない話を登場人物にさせている。
例えがこんな件(くだり)、
 
実が過ぎては絵が賤しくなりはすまいかと、今のお栄は思うのだ。そう、目前にある景色、その表面(おもてづら)に囚われたら絵の真情を損なってしまう。
 
実を過ぎてはとは、あまりリアルに徹してはということだろう。
お栄とは應為のことだが、なかなか素人はだしでは書けない文章だと思うが。
作者の博学ぶりをこんなところにも顕れる。
お栄が唯一、体を許した相手、善次郎の場面。
 
「思うところあって忘八になりやした」
 
忘八の八とは、仁義と礼智、忠、信、孝、悌で、あの馬琴師匠が何十年もかけて『南総里見八犬伝』で書き、説き続けている八つの徳目だ。それらすべてを失い、あるいは捨てた者を忘八と呼び、娼家の主を指す言葉である。
 
なまじっか深い知識を披歴させられると驚き入る。
今一つ。
 
東京上野の観音堂近くに「秋色桜(しゅうしきざくら)」という桜の古木があります。
秋色というのは江戸の菓子屋の娘おあきの雅号。
13歳の春、上野に花見に行ったおあきは、観音堂のうしろ、井の端にある桜を見て一句詠み、木にくくりつけて帰りました。
 
井戸端 桜あぶなし 酒の酔(えい)
 
う~ん、著者に一度お会いしたい。
積読本の中にまだ二冊、彼女の本が寝かせてあるが、更に楽しみが増えたとも言える。
因みに表紙の絵を拡大した葛飾應為の作品がこれ。
 

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