これは、京都にある画家橋本関雪のお屋敷で、先年行った折り撮って来たものだが、明治16年11月10日生、昭和20年2月26日没とあるから、敗戦を知らずに逝去しているわけで、何だかややこしい話になるが、著者渡辺たをりという女性は、関雪の曾孫で谷崎の義理の孫になるとか。
つまり谷崎の3番目の妻・松子と最初の夫・根津清太郎の長男清治と結婚した橋本関雪の孫・千萬子の娘が「たをり」ということになる。
分ったような解らないような。
まあ、それはいいとして谷崎は美食に拘りをみせれば、一体に収入は如何ほどなものだったのか知りたい。
幼少時代、谷崎と共に暮らした為に贅沢を知ってしまった著者は、学齢に達した時、給食の不味さに食べ残しが多かったという。
見かねた担任は、どうして残すのかと訊くと不味いからだと即答したらしい。
先生は偏食のせいだと思い、
「じゃ、たをりの好きなのはなに?」
「鯛のあら炊きとぐじの酒蒸し」
ときっぱりと答えたそうだ。
これは家族では有名な話らしい。
本編は料理上手な著者とあって、食の美、自然の美、谷崎が追求した様式美を交えながら、私人谷崎の一面を著したもので面白い。
曾祖父の関雪は、動物を描くこと多かったため、別荘に多くの生き物を買っていたというが、京都で初めてスピッツを飼ったのも関雪だとか。
谷崎の随筆もかなり引用しているので、面白いものを少し孫引きしたい。
大正八年と古いので旧字体となっているが、少しかなをふっておいた。
神韻縹渺とした風格を尙(たっと)ぶ支那の詩を讀んで、夫(それ)からあの毒々しい料理を喰べると其處に著しい矛盾があるやうに感ぜられるが、此の兩極端を併せ備へて居る所に支那の偉大性があるやうに思われる。あんな複雑な料理を拵へてそれを鱈腹喰ふ國民は兎に角偉大な國民だと云ふ氣持がする。一體に支那人には日本人よりも大酒飲みが多いけれども、グデグデに醉ったりするやうな事は滅多にないさうである。
私は支那の國民性を知るには支那料理を喰はなければ駄目だと思ふ。
つまり、ある国の国民性を知るには、その国の食べ物を知るのが良いという意味での随筆だが、少し大袈裟な書きっぷりがいい。
著者はさらに各地にある名店などを紹介しているが、例えば京都先斗町辺りにある「飛雲」、場所を聞いただけで格式が高いようなので、私はお呼びでない。
著者は谷崎の血を引いてないが、文章も巧みで澱みが無く、殆どの作品を読んだものと思われる。
料理の腕の方は、一品、ドソコンボリョというスペイン風、松茸ご飯のようなもののレシピが載っているので書いておく。
ピラフを作る要領で、洗ったお米を透き通るまでバターで炒めて、これに鶏肉、松茸をそれぞれ下味をつけ、バターでいためたのを加え、さらに皮をむいた栗、干しブドウを入れます。鳥のガラでとったスープをお米の分量に合わせて注いで味を調え、好みでお酒も少し入れて普通に炊けば簡単に出来上がります。松茸ご飯とはまた違った味で、子供や若い人に人気があります。
そう、若い私に誰か作って下さい。
扨て、『細雪』で有名な紅枝垂も私のフォトな中にあるので序に書き足しておきたい。
二回目に行った2016年4月9日の写真。
あの、神門を入って大極殿を正門に見、西の回廊から神苑に第一歩を踏み入れた所にある、數株の紅枝垂、海外にまでその美を謳われてゐると云ふ名木の櫻が、今年どんな風であろうか、もうおそくはないであらうかと氣を揉みながら、毎年回廊の門をくゞる迄はあやしく胸をときめかすのであるが、今年も同じやうな思ひで門をくゞた彼女たちは、忽ち夕空にひろがつてゐる紅の雲を仰ぎ見ると、みんなが一様に、
「あー」
と、感嘆の聲を放った。
大した感性ですね。
私の知る限り、この桜を見ていた人で感嘆の声を放っ人を見たことがないが。
谷崎は毎年恒例のように、紅枝垂と祇園甲部歌舞練場で開催される祇園甲部の舞踊公演都踊りを楽しみにしていたそうだ。
文豪を側面で見ながら育つ、これは美食を共にした以上の贅沢かも知れない。