徴兵で従軍していた小津が、南京の東約40㌔の街で山中と会ったのは昭和13年1月12日、それが今生の別れとなり9月17日、山中は他界した。
本書は巨匠小津安二郎が書き残した日記から、生前、愛読した本や作家との交流などを丹念に掘り起こしたものだが、残念なことに残された日記は完全なものではなく、映画制作所の火災や戦災などで一部焼失した部分もあるらしい。
登場する作家は主に文豪と呼ばれる五人。
中でも小津は志賀直哉に対して強い崇拝の念を抱いていたようで、『暗夜行路』を絶賛している。
同じく白樺派の里見 弴も尊敬しており公私共に深い親交があった。
「会話のうまみにはほとほと頭が下る」
現在では忘れ去られた作家になってしまった里見 弴は、岩波や講談社文芸文庫などで辛うじて散見する程度だが、小津の言うとおり、里見の小説は会話の妙にあり、まず、どの本を読んでも面白い。
何故、絶版の憂き目に遭っているのかよく分からないほどだ。
偶然、エレベーターの中で会った時には最敬礼をしたり、撮影所に志賀が来ると直立不動で「はい、はい」と返事をしていたとか。
小津60年の生涯で『暗夜行路』以上に感動した小説はなかったらしい。
にも拘らず小津は、志賀作品を映画化することはなかった。
また、子供たちが住む浅草周辺は『断腸亭日乗』の影響かと思われる。
しかし、小津はかなりの読書家だったようだ。
仲間の岸田劉生が早世したのは残念だ。
ともあれ小津の交流は素晴らしい、私みたいな凡夫には縁遠い話だが、里見はこんなエピソードを披露している。
昭和31年6月、志賀、里見、小津の三人で旅行した時のこと。
愛知県蒲郡のホテルに宿泊した翌朝、志賀にこんなことを言われた。
「小津君、きみは朝から酒を飲むんだろう?」
と言って、志賀自らビールを持ってきて、小津のコップに注ごうとした時の恐縮した顔を是非見せたかったと書いたいる。
私も見たかった(笑
勿論、私の友人知人に文化勲章受賞者などいないが、このような大家と交遊するということがどういうことなのか興味がある。
小津は昭和38年12月12日に亡くなっているが、まだ私が子供の頃、彼等が全員存命だったとことを思うと感慨深い。