愛に恋

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甦る『ゴンドラの唄』―「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容 相沢直樹

私にとっての読書とは趣味以上、義務未満みたいなものだが出来得る限り、自分の身の丈に合ったサイズの本を選別して読みたいと思っている。
あまり度を越して不釣合いな本は当然の如く理解の範疇を超え苦痛の領域に誘う。
本題に入る前に一言、苦言を呈したい。
ノンフィクション、評伝好きな私は、まず著者名を見て本を購入することはない。
タイトルから想像出来る範囲の夢と新知識を期待して選ぶわけだが、今回の本、題名を見る限り、読後に人に語らずにはおられない内容かと思いきや、さにあらず、これはもはやノンフィクションの類に非ず、完全なる論文ではないか。
著者の来歴を調べると!
 
東京大学大学院博士課程(ロシア語ロシア文学)単位取得満期退学。
東京大学文学部助手を経て、現在、山形大学人文学部教授。
 
なるほどね!
どうりで秀才の書くものは違うと思った。
しかし、読書ブロガーとしては解らないから記事を書かないというわけにはいかず、已む無く重い腰を上げる・・・(汗
 
さてさて、確かあれは17歳の夏だったと思ふ。
日中、ラジオを点けっ放しで惰眠を貪っていた私の耳に、運命の扉をこじ開けるように聴こえてきた合唱団の歌声。
覚醒した脳は曲を聴き入る。
唱歌や童謡とは思わなかったが、何やら歌詞が古めかしい。
歌唱は少年少女合唱団のようで痛く私の感性を揺さぶり、最後の曲紹介でDJは!
 
「曲は中山晋平さん作曲のゴンドラの唄でした」
 
なんと、ゴンドラの唄とは斯くも素晴らしい曲であったか。
以来、すっかり晋平さんの虜になり、NHK放送の『中山晋平特集』を録画し、一時は5万円もする『波浮の港』のオルゴールを買おうかと迷ったほどで、知るにつれ晋平メロディに嵌ってしまった。
『カチューシャの唄』『ゴンドラの唄』『さすらいの唄』『船頭小唄』『波浮の港』と、まるで私は大正ロマネスクの時代を生きる青年になったような心持ちだった。
 
島村抱月ロシア文学に材を取り松井須磨子が演じ、曲を抱月の書生だった中山晋平が書く。
トルストイの『復活』では『カチューシャの唄』を。
ツルゲーネフの『その前夜』では『ゴンドラの唄』、トルストイの「贖罪」を戯曲化した『生ける屍』では『さすらいの唄』と劇中歌をヒットさせる。
作詞者は吉井勇で師と仰ぐ森鴎外の訳したアンデルセンの『即興詩人』に詩想を得たということが検証されている。
歌詞を見ると、この詩にはかなり推敲のあとが見て取れる。
 
一、
  いのち短し 戀せよ少女 
   朱き唇 褪せぬ 間に
   熱き血潮の 冷えぬ間に
   明日の 月日のないものを
二、
  いのち 短し 戀せよ少女 
  いざ 手 を 取りてかの舟に
  いざ 燃ゆる頬を 君が頬に
  ここには誰れも 來ぬものを
三、
  いのち短し 戀せよ 少女 
   波にただよひ 波の様に
   君 柔手を わが肩に
  ここには人目 ないものを
四、
  いのち短し 戀せよ少女 
   黑髪の色 褪せぬ間に
   心のほのほ 消えぬ 間に
   今日はふたたび 來ぬものを
 
4番まで全て一行目は「いのち短し 戀せよ少女」で始まり、二行目、三行目の語尾は4番まで全部「に」で終り、最後の4行目はこれまた全て「ものを」で締めくくっている。
符合が一致するように作られているわけだ。
 
因みに原作の訳にはこのような経緯がある。
ツルゲーネフの『その前夜』はガーネットの英訳で、相馬御風が重訳し、アンデルセンデンマーク語で書いた『即興詩人』は、そのドイツ語訳から鴎外が重訳したもの。
 
戦後、すっかり忘れ去られていた『ゴンドラの唄』を蘇らせたのは黒澤映画の『生きる』で、ブランコに乗りながら志村喬が歌う名場面が脳裏をかすめますね。
主人公、渡辺勘治に扮した志村に注文を出した黒澤監督は。
 
「この世のものとも思えない歌い方をしてくれ」だった。
 
『生きる』が封切られたのは昭和27年10月9日。
晋平が友人に連れられてこの映画を観たのが12月2日。
その翌日から腹痛を訴え15日に入院。
そして30日に死去。
晋平にとって『生きる』とはどんな意味の作品だったのか。
戦後、殆ど作曲することのなかった晋平の胸に去来した『ゴンドラの唄』とは。
人生の無常観が漂うようで何だか裏淋しい。
 
ところで大学教授である著者は2009年に文学部系の学生54名に対しアンケート調査を行っている。
 
・ゴンドラの唄というタイトルを知っている。 5名。
・ゴンドラの唄を歌える。 0名。
・メロディを聴かせ、この曲を聴いてことがあるか? 8名。
・「いのち短し、恋せよ乙女」の文句を聞いたことがある生徒は多数存在。
 
つまり、この最後の回答が示す要因が「甦る『ゴンドラの唄』というタイトルに繋がるわけで、私は知らないが現在のサブカルチャーやアニメ・ソングなんどに多くこのフレーズが使われており、自然と若者はゴンドラの唄とは知らないながら接触をしているというのが、著者が言いたかったことかと思うのだが。
最後に『生きる』は『渡辺勘治の生涯』が元のタイトルだったとか。