愛に恋

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太平洋航海記 キャプテン・クック

 
10年程前までは大規模な古本市へ行っても、さほど疲れを感じなかったものだが最近はどうも腰の具合が良くない所為もあってかじっくり陳列棚を見れなくなった。
それでも何故か、これという本はしっかり目に留まっているからおかしい。
『太平洋航海記』とあるだけなのに思わす手に取ってしまった。
クック船長の航海記が翻訳出版されていたのだ。
解説を見ると刊行は昭和18年とある。
尚、仔細に読むと戦後河出書房から3分の一に圧縮されたものが発売されたらしい。
それが、この本になるのか現代教養文庫から昭和46年8月に出版されている。
 
この手の本は以前『ペリー提督日本遠征日記』を読んだ程度だが、まあ、決して読み易いものとも言えないが、見つけてしまったものは仕方がない。
頑張って読むこにした。
さて、キャプテン・クックの業績だが、はっきり言って何もしらない。
ただ、遠征中に何処かの島で原住民によって殺害されたということは知っていたが。
 
クック船長は合計3回の遠洋航海に出ている。
第1回航海(1768年7月30日 - 1771年7月12日)
第2回航海(1772年7月12日 - 1775年7月30日)
第2回航海(1776年 - 1780年


    赤は第1回航海、緑は第2回航海、青は第3回航海をあらわす。
    青の点線は、クック死後の航海ルート。
 
このように広範囲に渡って調査探検に赴いているが最も有名なところではハワイ諸島ニューカレドニアを発見したことだろうか。
解説にはこようの書かれている。
 
キャプテン・クックの航海で南方大陸もさることながら、当時、最も分からなかった太平洋北部も判明し、これで地球上から空白の地域はほぼなくなってしまったのである。
 
なるほど、上の地図でも分かるようにまさに大航海と言っていい。
しかし考えてみるがいい。
一回の航海が約3年。
途中、どうしたって食料、飲料水、薪などの補充ため現地人との交渉も必要になり上陸も已む無しに至る。
翻訳では土民、インディアンとの表記が使われているが、彼らとの接触は常に危険を伴い衛生面、住環境、食事、風土病とこれはかなり危険な旅でもある。
特に南洋諸島ニュージーランド近辺の島々に付いて書かれていることが多いが会話の問題などはどのようにしていたのか良く解らないが意外と交渉が纏まっている。
 
だが、船長以下船員を常に悩ませたものは現地人の盗癖で、頻繁に物が盗まれ諍いが絶えなかったようだ。
時に双方に死傷者が出ることも稀ではない。
更に驚くのはニュージーランド全島を含む南洋諸島で多く見られる食人種の習慣。
部族同士の戦争は頻繁に起き、捉えた捕虜を食べるという。
かなり野蛮で残忍な種族というようにイギリス人は観察している。
 
他にも割礼、小指の切断、刺青、人身御供とおぞましい光景を見聞きしているが、命の危険をも顧みず、船乗りとなり、そこまでしてまだ見る土地を探検するというのは文字通り命知らずの男たちなのだろうか。
私には絶対出来ない仕事だ。
実際に乗組員数人が喰われたという記述も出て来る。
 
ところでクック船長の最期だが1779年2月14日、ハワイ島のケアラケクア湾というところでカッターボートが盗まれたことから諍いが起り発砲、騒動は大きくなり退却を余儀なくされ小舟に乗り込もうと背中を向けたところを頭を一撃、波打ち際に転倒し刺し殺された。
死体は先住民に持ち去られ直ぐさま解体されバラバラにされるという悲惨さだった。
乗組員らの懇願によって、遺体の一部だけは返還されたが肉が骨から削ぎ取られ焼かれた痕が残っていた。
 
その後も航海は続き、船長はキャプテン・ゴアなる人物が引き継ぎ日本近海を探検した結果発見された島を硫黄島と名付けたとあるから、硫黄島は日本人が命名した島ではなかったことが初めて分かった。
しかし、思わぬことで命を落としたキャプテン・クックはさぞ無念だったことだろうが彼の成し遂げた功績は偉大で後の世まで語り継がれることだろう。
そのためには必読の書とも言える一冊だ!
 

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