愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

風天 渥美清のうた 森英介

 
子供の頃からの洋画ファンなのだが、なら、誰の映画を一番沢山観ているかといえば渥美清倍賞千恵子となる。
寅さんシリーズ全作と、それ以外の作品も多数見ているので、それぞれ50作以上は観たはずだ。
 
渥美清という俳優を知ったのはかなり昔のことで夢で逢いましょう』や『泣いてたまるか』を見ていたので、おそらく昭和30年代後半ぐらいかと思う。
その渥美清には三つの顔があるとは、これまで聞いていたが、実は四つだったというのがこの本の主題。
 
 
・本名 田所康雄
・芸名 渥美清
・役名 車寅次郎
・俳号 渥美風天
 
渥美は有名人としてではなく、一般人として多くの句会に参加し、生涯、220作以上の句を残す。
俳句への興味、作風の傾向など作品の収集から始まり、友人、知人の証言を元に、俳人、渥美風天の魅力を探っていくのが本作である。
通読して言えることは、仕事、家族のことなどは全く詠んでいない。
見たままの自然、風景の一コマを切り取ったような描写がとても上手い。
 
渥美風天の俳味は芭蕉や一茶、子規のものと違って種田山頭火や尾崎放哉の自由律俳句に近いものがある。
自由律俳句とは季語や五・七・五という有季定型に捉われない無季破調の句のことで漂泊の歌人というイメージが強い。
ロケ先で、よく神社仏閣などに立ち寄ったと聞いているが、それらのとこで見た風景を長く記憶して作品を作っていったのだろう。
気に入った句を少し紹介したい。
 
・お遍路が一列に行く虹の中
・赤とんぼじっとしたまま明日どうする
・花びらの出て又入るや鯉の口
・ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯
・むきあって同じ茶をすするポリと不良
 
・いわせれば文句ありそなせんべい布団
・夢で会うふるさとの人みな若く
ひぐらしは坊さんの生まれかわりか
・だーれもいない虫篭のなかの胡瓜
・ゆうべの台風どこに居たちょうちょ
・山吹キイロひまわりキイロたくわんキイロで生きるたのしさ
 
渥美さんと言う人は世間で知られている寅さんとはかなりイメージの違う人だということは今日知られている。
大スター渥美清ではなく市井の素人俳人として、ある句会では自分をこんな風に紹介していた。
 
「会計係の渥美清です」
 

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I´ve Been Loving You Too Long

最近、気が付いたことだがカメムシは何故、高層マンションの上層階の踊り場で死にたがるのか。
秋口、少なくとも10階以上の高所でカメムシの死体を多々見る事が多い。
あの小さな体で何ゆえこんな高さまで飛んで来て命を果てるか未だ嘗て『ダーウィンが来た』でも見たことがない。
 
では。おやすみなさい!
 

闇の女たち: 消えゆく日本人街娼の記録 松沢呉一

 
570頁もある大著で、はっきり言って何から書いていいのか分からない。
内容は2部構成で、第1部は「街娼インタビュー」第2部は「日本街娼史」からなるのだが著者が書きたかったのは純粋な日本人街娼が近年減りつつあるため、街娼の戦後史を残したかったとある。
しかし、一口に街娼と言っても総じて売春婦を一括りに扱ってないところが実にややこしい。
 
街娼とは江戸時代では夜鷹、又は乞食淫売婦と蔑まれた女性のことを言うのではないだろうか。
つまり街娼の定義は公娼以外の総ての淫売婦を指すようである。
公娼とは吉原などのように親方や女将さんが置屋などに囲い、身の安全は確保されるが、当然、売り上げの何割かは差し引かれる。
 
対して街娼は、縄張りと仲間内で互助会などもあったようだがピンハネされるこはなく、出勤も自由、体調が悪ければ休むことも出来る。
そもそも売春は人類の歴史が始まると同時に存在し始めた。
当然の話しだが原始時代は婚姻制度がない。
現在のように婚姻が排他的、永続的なのに対し婚姻が無かった時代は結婚と売春の間に明確な線引きはない。
 
一方、柳田国男の説によれば日本の売春は巫女に始まるという。
反対に同性愛は空海が唐から持ち帰って日本で広めたという説もある。
ともかく戦後急速に広まったパンパンという女性たちは、勿論、戦争未亡人や貧困からこの道を選択する以外なかったという女性も居るにはいたが、逆に好奇心、古い因習や束縛からの脱却で家出して上野、池袋などアメリカ兵を求めて街娼になった女性もいたという。
 
街娼と遊郭では、はっきり一線が引かれている。
遊郭とは赤線のことで集娼ともいい、公娼制度では一定の地域で働かなくてはならない。
幕府時代の昔からそういう仕来りになっている。
しかし街娼は何処ででも立てる。
特に戦後、差別用語として出来たのが洋パンと言われる街娼で、堂々と進駐軍と昼間っから腕を組んで歩く姿は、あの鬼畜米英からは程遠い姿に見えたのであろう。
 
国民の中にも戦後、俄かに現れたパンパンに対し強い反感があったようだ。
更に政府とGHQを悩ませたのは蔓延する性病で、これが社会問題となった。
当時、遊郭で働く娼妓は13万ほど居たらしいが、売春防止法が出来るに及んで「赤線従業婦組合」は法の制度に反対して活発の運動を展開していく。
つまりは職を失う彼女たちにとって、この法律は重大な問題なのである。
 
売春防止法は、そこで働く女たちを保護するためのものではなく、性道徳や社会秩序を維持するための法律であり家庭を守る主婦たちの為の法律であったという見方もできる。
昭和24年、風紀に対する世論調査というのが行われているが、大まかに言えばパンパンは規制すべきだが遊郭は社会に必要だと答える人が圧倒的に多かった。
 
しかし逆に朝鮮戦争の特需景気により「パンパンさまさま」の時代もあり、この当時は日本最大の産業でもあった。
少し、個人的な話しを付け加えるが、私は昭和50年頃までは、もう日本に売春婦などは存在しないと思っていた。
当時は名古屋に住んでおり、その昔、名古屋城建造に際して堀川という人工的な川が出来たが、たまたまその近くに引っ越し、その堀川沿いに夜、街娼が立っているのを見た時には驚いた。
 
しかし著者が言うように今日、日本人の街娼に代って多国籍の人種が群れをなして進出している地域を知っている。
私の住んでいる地域からして風俗産業が盛んな所だ。
著者はまるで純粋な日本人街娼が居なくなるのを惜しむかのようにこの本を書き、そのために全国行脚までして戦後の街娼史を書いた。
参考文献は恐ろしいばかりの数で、その労力には頭が下がる。
 
最後に、第一部にあった二人の男娼とのインタビューが面白いので付け加えておく。
 
「オマンコの月賦はないんだから(笑)」
「私はそこの東京芸大の尺八科を主席で卒業したほど上手なのよ」
 

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Il cielo in una stanza

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考えている!
考えている?
とにかく考えている!
それでも考えが纏まらない時
そんな時は音楽の玉手箱を知らべてみよう
思考を止めて像の耳にすれば
また明日もやってくる
一日、一日が千秋楽
 

京都ぎらい 井上章一

 
京都嫌いとは何ぞやということに興味を持ち買ってみたのだが・・・!
例えばこんなことを想像していた。
芸子が無理な京都弁を使う。
風俗と寺社が渾然一体となった場所がある。
観光客の多さ。
うだるような暑さ等々。
 
しかし、予想は大きく外れかなり歴史的なことが書かれている。
私個人が観光地として訪れた場所の最多は京都だが、しかし何回行っても、この本が問題としている洛中洛外の境界線は分らない。
作者は嵯峨生まれの宇治在住ということらしいが、子供の頃より、嵯峨の者は言葉使いも違うし洛外だからという、謂われのない中傷を受けて育ったと書かれているが、そんなことがあるのだろうか。
京都に住んだことのない私には解らない。
 
そこで名誉挽回とも言うべく洛外、特に嵯峨の歴史について熱弁を振るっている。
あまり深く考えたことは無かったが、招魂社、つまり今の靖国神社は明治以来、官軍の側に立って戦死した者を弔っている。
つまり、戊辰の役で戦死した鳥羽伏見、会津、長岡、五稜郭などで朝敵になった者は祀られていない。
無論、萩の乱佐賀の乱西南戦争の賊将も然りである。
 
しかし中世以前は怨霊思想なるものがあって、勝者が敗者を弔うためにかなり広壮な寺を建立して敬ったという。
聖徳太子平将門菅原道真後醍醐天皇などがそれだが、でければ怨霊となって祟りをもたらすと本当に考えられていた。
 
数年前に嵯峨の奥地にある大覚寺に行ったことがあるが、建武の親政に失望した尊氏は1336年後醍醐天皇を京都から追い出し南朝の拠点、大覚寺を襲撃。
吉野へ移った後醍醐天皇は、その三年後に病没。
嵯峨から南朝の勢力を一掃した尊氏は後醍醐天皇の怨霊を鎮めるために天龍寺を創建、それほどまでに尊氏は天皇の怨霊が怖かったようだ。
 
著者は今でこそ鄙びた村里になってしまった大覚寺一帯は、嘗ては平安京の副都心だったということを強調したいようで洛中人、何する者ぞと言いたいところが、この本の主題ともとれる。
しかし通読して思うことは「京都ぎらい」というよりは「北朝ぎらい」と言った方が、より的確なような気もするが。
 

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Amazon探検隊

何となく今日はたわいもない雑事で追われる休日だった。
まず、朝、部屋を出たところで大家さん夫婦に会う。
30分ほど互いの病気のことなど話合い、その後、郵便局へ。
更に銀行でお金を下ろし家賃の振り込み。
そして喫茶でモーニング。
食後、お決まりの朝の連続読書タイム、因みに現在は『ドストエフスキー伝』
さぁ、ひと段落付いたところで薬局へ。
自転車を止めて歩き出すと突然、中年の女性に声を掛けられた。
 
「あの・・・お茶を御馳走してもらえませんか!」
「お茶?」
「はい、お茶です」
「えっ、お金は」
「持ってません」
「それなら、これ上げるから、そこを右手に曲がったところにパン屋の喫茶店があるから、そこへ行くといいよ」
 
と教え彼女の手に千円を握らせ、私は用事を済ませ最近行き付けの怖いママの居る喫茶店でランチ。
とかく、その店は常連客で五月蠅いのでウォークマンを聴きながら読書に勤しむ。
しかし、今日はどうしたことか途中で流れ出したラリー・カールトンの曲があまりにも素晴らしいので、度々、リピートしていたら、いつの間にか夕方。
お蔭で読書が捗らない。
 
まあ、いいやと自転車で戻って来ると又してもさっきの女性が同じ場所に立ってシクシク泣いているではないか。
 
「あれ、どうしたの。お金は」
「使っちゃいました」
「ええ、家は何処なの?」
「〇〇です、でも、そこまで行くお金はあるんですけど、そこからのバス代がないんです」
 
何やら胡散臭い話しだとは思いつつ、私もつい訊いてしまった。
 
「バス代はいくらかかるの?」
「420円です」
「それなら僕が出すから、もうちゃんと帰ってね」
 
思えば過去、この手のことで声を掛けられたことがこれで3回目。
嘘か誠か誠か嘘か。
しかし、それなりに困っているのだろうから、こんなことは忘れよ忘れよ。
私も困るのだが(汗
 
で、買い物をして家に帰ると今日のお目当て。
ジャジャ~ン、Amazonで注文してあった本が届く日なのです。
2日前に2冊、そして今日2冊、更に近くの古書店で買った本が2冊で計6冊。
 
秋刀魚上手いかしょっぱいか、何ていう話しではありません。
古本片手に嬉しいかってなもんです。
 
古本は 買う時楽し あと苦し
 
しかし、全ての森羅万象は古書の中にあり
 
これが私の座右の銘
さては南京玉すだれ、少し紹介しましょう。
 
 
以前、劉生の娘さんが書いた本を読んだことがあるが、死に関する詳しい経緯は書いてなかった。
果たしてこの本にはそれらのことが載っているのだろうか、気になる。
 
 
 
今は無き菊富士ホテル、文豪たちの定宿だったこのホテルではどんなドラマが繰り広げられていたのか。
 
 
全国どこの書店からも姿を消した幻の本。
最近、日本でも有名になった絵画ですよね。
レディ・ジェーン・グレイの処刑
彼女の身に何が起きたのでしょうか。
この圧倒的な存在感を示す裏の真実を知りたくて何と定価の倍価格で購入しました。
 
 
満州国」見聞記 リットン調査団同行記
満州国建国、国際連盟からの脱退。
日本の命運を分けた昭和8年でした。
 
 
下足番になった横綱―奇人横綱男女ノ川
こんな横綱が昔いたんですね!
 
 
 興味をそそられる女性だったので、
あっ、いやホテルの話しだったので読んで浅い知識を深めてみようと短絡的に
 さて、まだ他に積読本もある事だし今年中には読めないだろうな。
 

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