愛に恋

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泥まみれの死 沢田教一ベトナム写真集

 
全世界に衝撃を与えたサイゴンのアメリカ大使館前で自らガソリンを被って焼身自殺したベトナム人僧侶の映像を見たことがある人も多いと思うが、調べてみると、あの日は1963年6月11日だったとか。
 
時は南ベトナム初代大統領ゴ・ディン・ジエム政権下。
独裁国家を目指すジエムは反共産主義者にして熱心なカトリック信者だったため反政府的な仏教徒を徹底的に弾圧。
その結果が抗議の焼身自殺となった。
同年11月にはゴ・ディン・ジエム大統領自身も暗殺される。
 
それらのことを見て沢田教一は、自分の行く場所はここしかないと確信したようだ。
死を覚悟するほどの職業、戦争写真家。
写真集を見ると分かるが戦闘の最前線でシャッターを押している。
死体を見るなどということは日常茶飯事。
 
あの頃、新聞紙上を賑わせていたのは、北爆、トンキン湾事件テト攻勢ソンミ村虐殺事件、ウェストモーランド陸軍参謀総長
そんな時代に沢田は使命感に突き動かされてかベトナムラオスカンボジアと拡大するインドシナ戦争を取材してピューリッツァー賞を受賞。
 
しかし、1970年10月28日、プノンペンの南約30キロの国道2号線上で取材中、何者かに狙撃され同乗者と共に死亡。
享年34歳。
沢田は既婚者であったが、いつかこの日の来ることを覚悟の上だったのだろうか。
戦争が終わったらベトナムを南から北へと写して周りたいたいと言っていたらしい。
 

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僕の父はこうして死んだ 山口正介

 
私の書庫に並ぶ本は相対的に言えば、死にまつわる蔵書とも言えるかも知れない。
多種多様な職業、洋の東西を問わず様々な死を読んできた。
 
武将、志士、革命家、思想家、芸術家、政治家、軍人、画家、詩人、歌人、小説家、俳優、医師、冒険家、音楽家など。
死因もバラエティ、本人達は自分の行く末にこのような最期が待ち受けているとは思わずに生きてきたはずなのだが。
戦死、自殺、自害、殉死、他殺、刑死、心中、餓死、殺戮、病死と非業な死を遂げている。
 
何故、私が著名人の死を読みたがるか、私なりには理解しているが、まあ、その理由はここでは書くまい。
今回の本、僕の父とは直木賞作家の山口瞳さんのことで、何でも今年で歿後20年になるとか。
嵐山光三郎は著書の中で「作家の死は事件である」と言っているが私も異論はない。
 
すでに多くの本が絶版になっているが亡くなった著名人の家族が生前の父の思い出を書き残した本は沢山ある。
山口瞳さんのひとり息子、映画評論家の山口昭介が著者だが山口家はみな早死にの家系でで70の声を聞いた親族はいないという。
 
ともあれ、本文はレベル4と診察された以後のことが主題で、生前の経歴などは殆ど書かれていない。
また、はっきり断言されてはいないが奥さんは明らかにパニック障害だと思われる。
話しは平成7年8月までのことで、驚いたことに山口さんは連載の「男性自身」シリーズを死の直前まで書き続けられ、延べ1614回、一度も休まなかった。
だが、その間にも病状は進み、
 
「愛想のいい医者を信じてセカンドオピニオンを求めなかった」
腫瘍マーカー200超の意味を理解していなかった」
 
など、既に病院へ行ったときは末期状態。
家族にとっての辛い日々が続く。
日々、痩せ衰えていく姿を見ながら涙する母子。
昭介さんは子供の頃から親によく映画を見せられたと言っているが、その点だけはウチの父と似ている。
家族を看取る現実、避けて通ることの出来ない宿命、本当に辛いことですね。
 
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ニジンスキーの手記 完全版 ヴァーツラフ・ニジンスキー


手記は第一次大戦後の1919年、29歳の頃に書かれたものだが、この若さで既に精神を病んでいる。
ニジンスキーは、驚異的な脚力による『まるで空中で静止したような』跳躍、中性的な身のこなしなどにより伝説となったとあるが、彼の何がどう天才的なのか無論、私が知るはずがない。
しかし、精神を病んだ後の執筆と知って以前からどうしても読みたかった。
かなり長い本だが、自信、ところどころ書いているように長期間に渡って書き継がれたものではなく、日々、手が疲れるぐらいのスピードで書いたものらしい。
 
では一体、何が書かれているのか。
はっきり言って解らない、同じ事柄ながら肯定と否定を繰り返しているようにも取れる。
まるで、尻取り遊びのように話の主体が変わり、何を読んでいるか分からなくなる。
こんな記述がある。
 
言葉はガソリンだった。蝋燭もガソリンも神ではない。なぜなら蝋燭は教会の学問であり、ガソリンは無神論の学問である。
 
または!
 
私は日本人だ。私は異邦人であり、よそから来た。私は海鳥。私は陸鳥だ。私はトルストイの木だ。私はトルストイの根だ。トルストイは私のものだ。私はトルストイのものだ。トルストイは私と同じ時代に生きた。私は彼を愛したが、理解できなかった。トルストイは偉大だ。私は偉人が怖かった。
 
う~~~ん?
更に!
 
私は妻を愛する。私は夫を愛する。日本などの猥褻な本を読んでは肉体的な愛にふけり、あらゆる体位を試し性的な遊びに溺れる夫婦は嫌いだ。
 
因みにニジンスキーの両親はポーランド人、本書は全て彼本人が書いているので、いつ、どうして精神を病んでいったのか具体的には分からない。
しかし、一見、支離滅裂な文章だが知性は感じる。
とにかく神について論じることが多く政治的見解も至るところで散見でき、第一次大戦後とあって登場する人物は順にロイド・ジョージ(英)ウィルソン(米)クレマンソー(仏)ケレンスキー(露)だが、彼はきっぱりボルシェビキは嫌いだと言っている。
因みに本書はスイスで執筆されたようだ。
 
さて、もう少し彼の文章を追ってみよう。
 
私は天文学が嫌いだ。神のことを教えてくれないからだ。天文学は星の地理学を教える。私は地理学を知っている。習ったからだ。私は国と国との境界線が嫌いだ。
地球は一つの国だ。地球は神の頭だ。神は頭の中の火だ。私の脈拍は地震だ。私は地震である。
 
ドストエフスキーの『白痴』を読んだ時の感想は。
 
私は「白痴」を読みながら「白痴」はいわゆる「白痴」ではなく善良な人なのだと感じた。私は「白痴」を理解できなかった。まだ若く、人生を知らなかったからだ。
今はドストエフスキーの「白痴」が理解できる。私自身が人から白痴だと思われているからだ。みんなから白痴だと思われるのは悪くない。私はこの感覚が気に入ったので、白痴のふりをする。私は白痴ではなかった。
 
この後、私は狂気が怖かった、私は狂人ではないと言っている。
本人は自身の精神状態をどう思っていたのだろうか?
そして文章は更に難解を極めていく。
 
私は生とは何かを知っている。生は生であり、死ではない。私は生のために死を望む。疲れたのでもう書けない。眠ったから疲れたのだ。私は眠った。眠った。眠った。眠った。私はいま書きたい。主が命じたら寝よう。私は見習修道士だ。私は彼だ。彼は神だ。私は神の中にいる。神々、神々、神々。
 
私に言わせれば、すべての芸術家は感じるが、充分には感じない。私は鼻を掻く、鼻毛が動くのを感じたからだ。神経のせいで鼻毛が動いたのだ。
 
記録によるとロシア革命が勃発した頃、ニジンスキー一家は中立国スイスのサンモリッツに移り住んだとある。
山に囲まれ長閑な環境でありながらニジンスキーは少しずつ奇怪な振舞いをするようになったらしい。
舞踊に興味を失い、作品の構想を練ることもなくなり、踊りの稽古もせず、絵を描くことに没頭する生活に変化していく。
 
1919年3月4日、ニジンスキー一家チューリッヒにある精神病院に向かい手記はその前夜で終わっている。
医師の診断は、軽い躁病的興奮をともなう、混乱した精神分裂症、ただし入院の必用なし。幻聴や妄想はないので精神分裂病とは断定できずとある。
しかし、結局、サナトリウムに入院することになったが、いったいニジンスキーはどのような状態だったのか。
解説者によると。
 
彼はもともと言語による意思疎通が上手く出来なかったが、年を追うごとにますます言葉少なになっていき、やがては他者および外界とのコミュニケーションがまったくなくなった。まわりの質問には答えず、時たま意味不明な言葉をつぶやくのだった。
ただぼんやり座っていることが多かった。ダンスを見ても反応せず、時に暴力を振るい、看護人の首を絞めたり、男性の看護人に性的な誘惑を仕掛けたりすることがあった。
 
また、こうも言う!
 
ニジンスキーの狂気には、狂気を演じているうちに正気と狂気の境界が崩れてしまったのではないかと思いたくなるようなところがある。
 
この本を読んだからといってニジンスキーを理解したなどという大それたことを言うつもりどころか、却って理解出来なくなったとも言える。
 
私は肉体をまとった感情であり、肉体をまとった知性ではない。
私は知性ではない。私は理性だ。
 
もともとニジンスキーには潜在的に狂気が宿っていたと理解したらいいのだろうか。
それが、或る時、何かの拍子に顕在化してきたのか、はたまた何かショッキングな出来事が重なり徐々に精神を病んでいったのか難しい問題だが、しかし人間、悩みが多いからと言って必ずしも精神に異常を来すとは限らない。
ともあれ、この本を読めて良かった!
 
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愛の顚末 純愛とスキャンダルの文学史 梯久美子

『愛の顛末』とは、ややありきたりなタイトルだが、最近、私の中では赤丸付急上昇で一躍トップの座に躍り出た梯久美子作と聞いて、やはり買わずにおれなんだ。
帯にはこのようなフレーズが!
 
こんなにも、書くことと愛することに生きた!
 
その作家は以下の12人。
 
梶井基次郎、中条ふみ子、寺田寅彦八木重吉宮柊二、吉野せい
 
なるほど、これは面白そうな予感通りの面白さで新知識も満載。
初っ端は小林多喜二、私が多喜二の『蟹工船』を読んだのは彼是40年程昔の事。
今回、初めて知ったが多喜二の恋人と言われていた田口タキさんが横浜で亡くなったのは何と、平成21年6月19日とある。
102歳の大往生、つまり私が『蟹工船』を読んだ時点では、まだまだ存命だったわけだ。
 
この手のニュースは余程新聞を通読していないと見落としてしまいがちなもの。
よく知られた多喜二の遺体を囲むように撮られた写真、あの中に映ってはいないが当日、その場に居たらしい。
どのような思いで長い戦後を生きてきたのだろうか。
何も書き残さなかったのが惜しまれる。
あの日、多喜二の遺体を築地警察署に引き取りに行ったのは母親のセキ。
このあたりは三浦綾子の『母』に詳しいが多喜二の弟三吾は書いている。
 
遺体を前にした母親の絶叫を聞き、このまま気が狂うのではないかと心配した
 
それはそうだろう、私もその写真を見たことがあるが、それはそれは凄惨の殺され方をしていた。
当時の特高警察が如何に恐ろしい存在だったか物語っている。
セキは生涯、その姿を忘れることはなかったろう。
 
次は近松秋江、秋江といえば『別れたる妻に送る手紙』だが、おそらく私はこの作品しか読んでいないと思う。
私小説作家として知られる秋江、この本によると別れた妻と、その新しい男の足跡を追って日光へ行き、旅館をしらみつぶしに当たって宿帳を調べる『疑惑』。
 
散々、貢がせた挙句に姿をくらました京都の芸妓への執心から、不確かな情報を頼りに人の通わぬ山奥まで追いかけて行く『黒髪』など実に面白そうだ。
また秋江の友人の正宗白鳥が書いた実録小説『流浪の人』も是非読みたい。
ところで『疑惑』はその前後に『執着』と『愛着の名残り』という作品があり全て絶版だが、何とか見つけ出して読んでみたい。
『黒髪』の方も、これ一編では終わらず『狂乱』『霜凍る宵』『霜凍る宵続編』と続き益々以って面白そうだ。
正しく私の執着と言える!
 
三浦綾子作品はこれまで『母』と『泥流地帯』しか読んだことないが、彼女の印象は極めて真面目で特別波乱のない生涯だったと思ってきたが、失礼致しました。
大変なご苦労をされていたんですね。
結核脊椎カリエスで闘病生活13年。
戦後、オホーツク海で自殺も試みている。
 
更に5年半交際した最愛の人が33歳の若さで病死、病身で弔問にも行けずベッドで一晩中泣き明かしたとか。
晩年は悲惨な状態で帯状疱疹、癌、パーキンソン病と長の患い。
私は彼女の代表作『氷点』を読んでいないが、いつかは読まなくては。
 
33歳の若さで夭折した中島敦の作品も『山月記』しか読んでない。
何でも竹内雷龍という人が書いた評伝『夏雲』という本があり、これも探したい。
 
原民喜は広島の生家で被爆したが幸運にも家は倒壊せず、投下の瞬間、便所に居たため閃光を直接浴びなかったことから怪我も火傷もなかった。
しかし、唯一の庇護者だった妻が終戦を待たずに昭和19年9月に5年間の闘病を経て結核に糖尿病を併発させて亡くなっている。
戦後、原爆を描いた作品『黒い花』が有名になったが昭和26年3月13日夜11時過ぎ、中央線吉祥寺ー西荻窪間の線路に身を横たえ轢死体となった、享年45歳。
妻あっての自分だったようで、神経質な原は上京するだけでも緊張感で嘔吐していたそうだ。
 
鈴木しづ子、全く知らない人だ。
俳句研究者で川村蘭太という人が長年の取材をもとに評伝『しづ子  娼婦と呼ばれた俳人を追って』という本を平成23年に刊行している。
発見された未発表句は凡そ7300句という膨大な数だ!
敗戦の日、しづ子は書く。
 
昭和二十年八月十五日皇軍つひに降る
 
しづ子には恋人がいたらしく著者はこのように書いている。
 
人間の知恵さえも焼き尽くされたかのような東京に婚約者は帰ってこなかった。
 
上手い表現だね、ここいらが私がこの作者に惚れている要因でして。
以後、しづ子んは性愛を大胆に謳い、パンパン俳句と揶揄されていく。
例えば。
 
娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ
情欲や乱雲とみにかたち変え
ダンサーも娼婦のうちか雪解の葉
 
昭和24年、しづ子は黒人兵と恋仲になるが恋人は横浜から母国に帰って行った。
27年、黒人兵の母から息子急死の知らせが届く。
 
急死なりと母なる人の書乾く
 
9月、全ての消息を絶ち、その後の行方は杳として知れず。
 
梶井基次郎宇野千代が閨を共にしたのかどうか、千代は否定し続けたが実際のところはどうだったのか分からない。
千代の言い分は梶井が醜男だからということになっているが。
昭和3年当時、千代は尾崎士郎と結婚していたが梶井と千代を巡って決闘したことがあると尾崎の『悲劇を探す男』には書いてある。
 
「お~~」と、わたしは低く叫んで立ち上がった。胸の底で何か一つの堅い殻がぱちん!とはじけるやうな音を聞きながらわたしは右手に握り締めた煙草を火のついたままふりかざして、一気に彼の面上に敲きつけた。燃えさしの煙草は彼の額に当たって、テーブルの上に落ちた。彼は、しかし、冷ややかな手つきで、今、眼の前に落ちた煙草をつまみあげた。すると、彼は視線をわたしの顔から話して、ぢっと考えこむように眼を瞑ぢた。しかし、すぐに猛然として立ち上がった。「よし、やろう。さあ来い!」
 
周りが止めに入ったようだが、尾崎は後にこう書く。
 
その晩を境として私の家庭生活は崩壊した。
 
このようなことが本当にあったのだろうか!
その後、東京の馬込に帰っていた千代に梶井から、そちらに遊びに行きたいと手紙が来る。
それを読むなり千代は駆け出し、
 
「梶井さんが来ると言ってきました」とふれ歩いたという。
梶井基次郎は若くして亡くなったが、こんな名文を残した。
 
俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じてもいいことだ。
 
しかし、こんな本を読むと文壇交遊録が好きな私は、まだまだ勉強が足りないと発奮する。
 
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世界の[下半身]経済のカラクリ 門倉貴史

 
国際社会は現在、性産業に対して二つの大きな問題を抱えている。
ひとつはポルノは解禁した方が良いのかという問題。
北欧のように子供の頃から性教育をすることによって望まない妊娠や性に対する精神的な免疫力を早い時期から養う。
 
二つ目は、セックス・ワーカー、つまり売春は禁止した方がよいのかという難問。
人類史上、絶えることのないこの産業は古代より宗教や価値観などによって考え方も様々、寧ろ、セックスを広く奨励し堂々と公娼制度を取り入れていた時代もあるばかりか、今日でも国によっては公娼が認められているところもある。
 
つまりこういうことだ。
禁酒法時代にマフィアが勢力を伸ばしたように法律で禁止されれば、本来、酒やセックスは人間の欲求に根差しているものであるからして、当然、そこには闇組織が介在してくる。
なら、いっそ、ポルノも売春も解禁してはどうかという意見もある。
事実、発展途上国では売春は外貨獲得の手段としては断トツ、国が認可すれば税収もアップし、売春婦も労働者として認められ会社としては保険は勿論、福利厚生施設も完備するという事態にもなってくるというわけだ。
 
本来、日本の売春防止法は貧しい家の女性が身売りによって搾取されるのを防ぐための法律であった。
しかし現在、この法律は女性保護に役立っているのか?
自由意志で働く女性が多い現在では労働者として充分な保護を受けることが出来ないと著者は主張する。
 
日本では考えられないが売春が合法化されているドイツでは「セックス税」なるものが導入されているとか。
また、一般的にセックス産業は大規模なイベント、例えばオリンピックやワールドカップなどがあると売春婦も大挙してやって来るらしい。
話しをドイツに戻すがボン市では路上に「売春メーター」なるものも設置してある。
つまり駐車料金と同じというわけだ。
この場所を借りて売春をしますからねと言う許可書を発行してもらう。
 
また、古代ギリシャでは売春は医者や弁護士と変わらない職業とされてきたとある。
近年、ギリシャ危機なんていう問題があったが、ギリシャも売春は合法で売り上げはGDPに加算されている。
 
フランスの場合は18世紀、ルイ15世の公妾であったポンパドール夫人が国王の性欲を満たすためにフォンテンブローの森に「鹿の宿」という娼館を作ったことは有名だが、当時のフランスは欧州の中でも有数な売春天国だった。
現在は厳しい規則はあるが売春は公認されている。
 
オーストリアでは売春宿が株式上場にランク付けされた例もあるらしい。
逆にイタリアのように「売春禁止法」が制定されると職を失った売春婦たちが各地で猛烈な抗議運動を展開する。
男性ではなく女性の方がである。
 
こうして見てくると確かに売春は必要悪である。
規制緩和した方がいいのか強化した方がいいのか、難しい判断だが人間の本能を抑圧し過ぎるとアングラ化してカポネの到来を招いてしまう恐れもあるが逆に人身売買の温床にもなっている。
 
世界のセックス・センターと呼ばれるタイ。
海外に分散する中南米の女性や東南アジアの女性。
私の地元でも巨大なコネクションがあるのか多国籍の女性たちが必要に男に付き纏っている。
 
しかしこの問題はどう転んでもイタチごっこで、改正しても改正しても法の網を潜る方法を必ず見つけてくる。
つまり、性風俗は無くならないということだ。
ある面、当局も容認していることは国民も知っている。
なら、いっそのこと解禁したらどうなのか。
 
結局、この本は世界の性産業の必然性と矛盾性を追求して已まない。
売春婦も裏ビデオも、その存在を国民は知っている。
なら、どうしたら良いのか。
少なくとも日本では不毛の論争になりそうなこの問題を正面から描いた本だったと言えるだろうか。
 
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原首相遭難現場

大正10年、原首相が東京駅構内で暗殺されたことは、いつの頃からか知ってはいたが、その現場に目印が付けられていることを、これまた何で知るようになったか覚えてない。
20数年前ぐらいだろうか、児島 襄さんの『平和の失速』という本で事の詳細を知ったが、政友会総裁だった原首相を中心に大正期の政界を描いた5000頁にも上る壮大なもので、クライマックス、原総理暗殺の場面は殊の外印象深く、犯人はまだ18歳の中岡艮一という若者だった。
 
東京生まれの私だが、諸般の事情で幼い頃、東京を離れ名古屋、大阪と転居を繰り返したが、その後、仕事の関係や個人的なことで何度も東京に行っているのに、ついぞ、現場となったこの場所を訪れる機会を逸したまま今日に至った。
しかし今回は必ずやその現場を確認したいと前もって決めていた上京。
 
現場を確認した私の感想はかなり意外なもの。
刺殺された地点は構内を入って僅か数秒の場所。
もっと奥まった所だとばかり思っていたのだが。
あれでは車を降りて10数歩で凶行に遭ったということか。
急を聞きつけて駆け付けた山縣有朋は警備の責任者をどやしつけたと本にはあったが、正に、あっという間の出来事だっただろうに。
確か、周りに居た人たちは誰かが首相にぶつかったのかと思ったと証言している。
しかし、原は即死。
 
日本中に衝撃を与えた大事件も今や昔。
雑踏の中、知ってか知らずか多くの人が行きかう丸の内南出口であった。 

鍵 谷崎潤一郎


『鍵』とは何の鍵なのか全く予備知識のないまま買ってしまった。
果たして、それが却って良い結果の読後感だったかも知れない。
端的に言えば夫婦の性愛を謳っているのだが、谷崎が取った手法が実に面白い。
夫はカナで妻は平仮名を用い日記を書く。
互いが日記の秘匿場所を知っていながら知らぬ素振りで日々の生活を営む。
しかし、敢えて読まれることを前提で際どい表現もそのままに日記は書き継がれる。
 
つまり『鍵』とは日記が隠してある棚の鍵というわけで、相手の日記を読んでいない態度を装いながら自分の日記も盗み読みされていないか心の裡を探り合う。
45歳の妻を持つ56歳の亭主。
例えばこんなくだりがある。
 
僕は今年56歳だからまだそんなに衰える年ではないのだが、どういうわけか僕はあのことには疲れやすくなっている。正直に云って、現在の僕は週に一回くらい、むしろ十日に一回くらいが適当なのだ。ところが彼女は腺病質でしかも心臓が弱いにもかかわらず、あの方は病的に強い。さしあたり僕がはなはだ当惑し参っているのは、この一事なのだ。
 
しかし、その欲求を他の男に求めたりするのは絶対に耐え切れないと言い、そして、こう重ねる。
 
若かりし頃に遊びをしたことのある僕は、彼女が多くの女性の中でも極めて稀にしかない器具の所有者であることを知っている。
 
早い話しが妻は稀にみる名器の持ち主だと言っているわけだ。
妻の言い分は。
 
私は夫にあの執拗な、あの変態的な愛撫の仕方にはホトホト当惑するけれども、そういっても彼が熱狂的に私を愛していることは明らかなので、それに対して何とか私も報いることがなければ済まないと思う。
あゝ、それにつけても、彼にもう少し昔の体力があってくれたれば・・・
 
そして・・・!
 
淫蕩は体質的なことなので、自分でもいかんともすることができないことは、夫も察してくれるであろう。夫は真に私を愛しているのならば、やはり何とかして私を喜ばしてくれなければいけない。ただくれぐれも知っておいて貰いたいのは、あの不必要な悪ふざけだけは我慢がならないということ、私にとってあんな遊びは何の足しにもならないということ。
 
簡単に言うなら妻の要求は、確かに淫蕩で淫乱だが、どこまでも昔風に暗闇の中で嗜みをもって行いたいというのが願望、しかし夫はやたらと明るいところでしたがる、ここがどうも反りが合わないと嘆いている。
 
そこで夫は一計を案じる。
本来、娘に引き合わせるはずだった木村という若い男からポロライド・カメラを借りて酔いつぶれた妻を裸にして、あられもない姿を写真に収める。
それに飽き足らず夫は更に現像が必要な好感度のカメラで妻を写す。
しかし、同時に疑念も沸く。
毎夜、毎夜、飲んでは酔いつぶれる妻は本当に意識が朦朧として何をされているのか記憶がないのか、それともワザと寝たふりをして写真を撮らせているのか。
夫は次なる一歩を踏み出す。
写真の現像を木村に頼むという。
 
「君は僕が何の写真を撮るのであるか分かっているのだろうね」
「よくは存じませんけれども」
 
敢えて裸の写真を木村に現像させることに拠って自らの嫉妬心を喚起させる。
妻に不倫をそそのかすわけではないが二人を接近させることで欲情を高める。
谷崎が考えそうなことだ(笑
しかし、その策略は次第に妻の知れるところとなり、そして妻は書く。
 
極度の淫乱と極度のハニカミが一つ心に同居している私であることを、最もよく承知している夫は、あの引き延ばしを誰に依頼したのか。
 
夫の言い分。
 
中年以降、妻の度はずれて旺盛な要求に応ずる必要あったがために。
 
夫の目論見は二人を不倫すれすれの関係に置きながら嫉妬心から沸き起こる情欲で妻に迫ろうとするもの、だが、二人はその接近戦に耐え切れず一線を超えてしまう。
妻の日記。
 
木村氏とはありとあらゆる秘戯の限りを尽くして遊んだ。私は木村氏がこうしてほしいと云うことは何でもした。何でも彼の注文通りに身を捩じ曲げた。夫が相手ではとても考えつかないような破天荒な姿勢、奇抜な位置に体を持って行って、アクロバットのような真似もした。
 
計画の破綻を知ってかしらずか夫は脳溢血で倒れ寝たきり状態になり、日記は妻の記述だけが続く。
夫が読んだら卒倒しそうなこんな記述もある。
 
遠い昔の新婚旅行の晩、彼が顔から近眼の眼鏡を外したのを見ると、とたんにゾウッと身震いがした。今から考えると自分に最も性の合わない人を選んだらしい。
 
結局、妻が木村に急接近したのは夫の日記の以下のところを読んだから他ならない。
 
妻は随分きわどい所まで行ってよい。きわどければきわどいほどよい。多少の疑いを抱かせるくらいであってもよい。そのくらいまで行くことを望む。
 
そして、こう結ぶ。
 
僕は嫉妬を感じるとあの方の衝動が起こる。
 
なるほどね!
人間の性衝動の上手いところを衝いている。
確かに性行為は相手への独占欲も加味し他の異性に目が行かないよう、また、行っていないか常に性行為で確認し合う要素もある。
愛情が覚めれば性行為も疎かになる。
 
この小説で、妻は夫に対し愛情が無いわけではないと言いつつ、性への不満を縷々日記に書く。
夫は亭主としての役目を果たしていないことを嘆きつつ木村を介し性本能を高ぶらせようと努力する。
しかし谷崎は日記という媒体を使って両者の微妙な性の不一致を上手く表現したものだと感心する。
 
嫉妬、これこそ恋愛感情や性本能を高める最大の要因かも知れない。
 
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