愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

鍵 谷崎潤一郎


『鍵』とは何の鍵なのか全く予備知識のないまま買ってしまった。
果たして、それが却って良い結果の読後感だったかも知れない。
端的に言えば夫婦の性愛を謳っているのだが、谷崎が取った手法が実に面白い。
夫はカナで妻は平仮名を用い日記を書く。
互いが日記の秘匿場所を知っていながら知らぬ素振りで日々の生活を営む。
しかし、敢えて読まれることを前提で際どい表現もそのままに日記は書き継がれる。
 
つまり『鍵』とは日記が隠してある棚の鍵というわけで、相手の日記を読んでいない態度を装いながら自分の日記も盗み読みされていないか心の裡を探り合う。
45歳の妻を持つ56歳の亭主。
例えばこんなくだりがある。
 
僕は今年56歳だからまだそんなに衰える年ではないのだが、どういうわけか僕はあのことには疲れやすくなっている。正直に云って、現在の僕は週に一回くらい、むしろ十日に一回くらいが適当なのだ。ところが彼女は腺病質でしかも心臓が弱いにもかかわらず、あの方は病的に強い。さしあたり僕がはなはだ当惑し参っているのは、この一事なのだ。
 
しかし、その欲求を他の男に求めたりするのは絶対に耐え切れないと言い、そして、こう重ねる。
 
若かりし頃に遊びをしたことのある僕は、彼女が多くの女性の中でも極めて稀にしかない器具の所有者であることを知っている。
 
早い話しが妻は稀にみる名器の持ち主だと言っているわけだ。
妻の言い分は。
 
私は夫にあの執拗な、あの変態的な愛撫の仕方にはホトホト当惑するけれども、そういっても彼が熱狂的に私を愛していることは明らかなので、それに対して何とか私も報いることがなければ済まないと思う。
あゝ、それにつけても、彼にもう少し昔の体力があってくれたれば・・・
 
そして・・・!
 
淫蕩は体質的なことなので、自分でもいかんともすることができないことは、夫も察してくれるであろう。夫は真に私を愛しているのならば、やはり何とかして私を喜ばしてくれなければいけない。ただくれぐれも知っておいて貰いたいのは、あの不必要な悪ふざけだけは我慢がならないということ、私にとってあんな遊びは何の足しにもならないということ。
 
簡単に言うなら妻の要求は、確かに淫蕩で淫乱だが、どこまでも昔風に暗闇の中で嗜みをもって行いたいというのが願望、しかし夫はやたらと明るいところでしたがる、ここがどうも反りが合わないと嘆いている。
 
そこで夫は一計を案じる。
本来、娘に引き合わせるはずだった木村という若い男からポロライド・カメラを借りて酔いつぶれた妻を裸にして、あられもない姿を写真に収める。
それに飽き足らず夫は更に現像が必要な好感度のカメラで妻を写す。
しかし、同時に疑念も沸く。
毎夜、毎夜、飲んでは酔いつぶれる妻は本当に意識が朦朧として何をされているのか記憶がないのか、それともワザと寝たふりをして写真を撮らせているのか。
夫は次なる一歩を踏み出す。
写真の現像を木村に頼むという。
 
「君は僕が何の写真を撮るのであるか分かっているのだろうね」
「よくは存じませんけれども」
 
敢えて裸の写真を木村に現像させることに拠って自らの嫉妬心を喚起させる。
妻に不倫をそそのかすわけではないが二人を接近させることで欲情を高める。
谷崎が考えそうなことだ(笑
しかし、その策略は次第に妻の知れるところとなり、そして妻は書く。
 
極度の淫乱と極度のハニカミが一つ心に同居している私であることを、最もよく承知している夫は、あの引き延ばしを誰に依頼したのか。
 
夫の言い分。
 
中年以降、妻の度はずれて旺盛な要求に応ずる必要あったがために。
 
夫の目論見は二人を不倫すれすれの関係に置きながら嫉妬心から沸き起こる情欲で妻に迫ろうとするもの、だが、二人はその接近戦に耐え切れず一線を超えてしまう。
妻の日記。
 
木村氏とはありとあらゆる秘戯の限りを尽くして遊んだ。私は木村氏がこうしてほしいと云うことは何でもした。何でも彼の注文通りに身を捩じ曲げた。夫が相手ではとても考えつかないような破天荒な姿勢、奇抜な位置に体を持って行って、アクロバットのような真似もした。
 
計画の破綻を知ってかしらずか夫は脳溢血で倒れ寝たきり状態になり、日記は妻の記述だけが続く。
夫が読んだら卒倒しそうなこんな記述もある。
 
遠い昔の新婚旅行の晩、彼が顔から近眼の眼鏡を外したのを見ると、とたんにゾウッと身震いがした。今から考えると自分に最も性の合わない人を選んだらしい。
 
結局、妻が木村に急接近したのは夫の日記の以下のところを読んだから他ならない。
 
妻は随分きわどい所まで行ってよい。きわどければきわどいほどよい。多少の疑いを抱かせるくらいであってもよい。そのくらいまで行くことを望む。
 
そして、こう結ぶ。
 
僕は嫉妬を感じるとあの方の衝動が起こる。
 
なるほどね!
人間の性衝動の上手いところを衝いている。
確かに性行為は相手への独占欲も加味し他の異性に目が行かないよう、また、行っていないか常に性行為で確認し合う要素もある。
愛情が覚めれば性行為も疎かになる。
 
この小説で、妻は夫に対し愛情が無いわけではないと言いつつ、性への不満を縷々日記に書く。
夫は亭主としての役目を果たしていないことを嘆きつつ木村を介し性本能を高ぶらせようと努力する。
しかし谷崎は日記という媒体を使って両者の微妙な性の不一致を上手く表現したものだと感心する。
 
嫉妬、これこそ恋愛感情や性本能を高める最大の要因かも知れない。
 
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