愛に恋

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京都ぎらい 井上章一

 
京都嫌いとは何ぞやということに興味を持ち買ってみたのだが・・・!
例えばこんなことを想像していた。
芸子が無理な京都弁を使う。
風俗と寺社が渾然一体となった場所がある。
観光客の多さ。
うだるような暑さ等々。
 
しかし、予想は大きく外れかなり歴史的なことが書かれている。
私個人が観光地として訪れた場所の最多は京都だが、しかし何回行っても、この本が問題としている洛中洛外の境界線は分らない。
作者は嵯峨生まれの宇治在住ということらしいが、子供の頃より、嵯峨の者は言葉使いも違うし洛外だからという、謂われのない中傷を受けて育ったと書かれているが、そんなことがあるのだろうか。
京都に住んだことのない私には解らない。
 
そこで名誉挽回とも言うべく洛外、特に嵯峨の歴史について熱弁を振るっている。
あまり深く考えたことは無かったが、招魂社、つまり今の靖国神社は明治以来、官軍の側に立って戦死した者を弔っている。
つまり、戊辰の役で戦死した鳥羽伏見、会津、長岡、五稜郭などで朝敵になった者は祀られていない。
無論、萩の乱佐賀の乱西南戦争の賊将も然りである。
 
しかし中世以前は怨霊思想なるものがあって、勝者が敗者を弔うためにかなり広壮な寺を建立して敬ったという。
聖徳太子平将門菅原道真後醍醐天皇などがそれだが、でければ怨霊となって祟りをもたらすと本当に考えられていた。
 
数年前に嵯峨の奥地にある大覚寺に行ったことがあるが、建武の親政に失望した尊氏は1336年後醍醐天皇を京都から追い出し南朝の拠点、大覚寺を襲撃。
吉野へ移った後醍醐天皇は、その三年後に病没。
嵯峨から南朝の勢力を一掃した尊氏は後醍醐天皇の怨霊を鎮めるために天龍寺を創建、それほどまでに尊氏は天皇の怨霊が怖かったようだ。
 
著者は今でこそ鄙びた村里になってしまった大覚寺一帯は、嘗ては平安京の副都心だったということを強調したいようで洛中人、何する者ぞと言いたいところが、この本の主題ともとれる。
しかし通読して思うことは「京都ぎらい」というよりは「北朝ぎらい」と言った方が、より的確なような気もするが。
 

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