愛に恋

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文藝春秋増刊 鮮やかに生きた昭和の100人

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昭和100人の最後を飾るのは昭和天皇だが、左頬に涙を流されておられる。

当時の参議院議長の祝辞が次のようなくだりに差し掛かったとき、

 

「・・・終戦に際し、御一身の御安泰をも顧みられず、戦争終結の聖断を下され、有難き玉音は電波により津々浦々に伝えられ、国民は涙とともに平和回復の喜びに浸ったのであります」

 

それはもう苦悩などという簡単な思いや決断ではなく、日本開闢以来未曾有の敗戦にして、国土が廃墟となる辛酸を舐め、310万という戦死者をもって敗戦となり、強いては、日本で一番長い日と言われる8月14日を中心に、8月6日以来の激動の日々、広島、長崎への原爆投下、ソ連参戦、14日のクーデター未遂事件、玉音放送

凄まじい10日間が終わっても陛下を苦しめたのは、多くの戦犯使命と木戸内大臣を通じて齎される軍人等の自決。

15日未明、阿南陸相割腹自決、森近衛師団長惨殺、杉山元帥自決、大西滝治郎海軍中将自決、元侍従武官長本庄繁大将自決、東部軍管区司令官田中静壱陸軍大将自決、海軍第5航空艦隊司令長官宇垣纏中将特攻死など、日々、伝わる知らせをどのような思いで聞いておられたのか、それら過ぎ去り日を思うとき、陛下の頬を一掬の涙が流れたのかも知れない。

 

その他の人は菊池寛はともかく、殆どの方たちと多少なりとも同じ時代を生きた私としては、熱い生きざまで戦後日本に、無くてはならない時代の寵児として、我々国民を歓喜の本流へ導いてくれた先輩たちに改めてお礼を申し上げたい。

アナタだちあっての繁栄であり復興でもあった。

皆さんにとっての終戦、そして池田総理の言う「もはや、戦後ではない」で始まる経済成長。

今、あの貧しかった日本を知らない世代が育って行く中、新しい物ばかりを追求するのではなく、近現代史の1ページを紐解くことこそが戦塵に斃れていった人たちへの供養になるのではないかと、本書を読んで思う次第なのです。