愛に恋

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ゴッホの手紙 (下) テオドル宛

 
まさかゴッホの手紙を読むことになるとは考えてもみなかったが、しかし以前、一度だけ、この大作に挑戦してみようかと思ったことがある。
2001年、みすず書房から出たこれだ!
 
 
ゴッホ没後100年を記念して1990年にオランダで刊行、翻訳出版されたものだがこれがまた高い!
5040円じゃと!
これまでに発売された書簡集は一部に削除、省略、伏せ字などがあり、今回読んだ岩波版はまさにそれで、省略部分もかなりあるが、それでも「上・中・下巻」と全巻読破するのはかなり骨が折れる。
 
共同生活前後のゴーギャンの手紙も編入されているが、肝心のテオの書簡集というのはないのかと調べてみると有るにはあったが。
 
「テオ・ヴァン・ゴッホの手紙 兄ヴィンセントへの手紙」
 
1952年に近代文庫というところから出版されamazon価格12,600円!
ドヒェ~~~!
だが妙だ、何故再販されない。
兄から弟への一方的書簡だけでは分かりにくいではないか。
返信たる弟から兄への手紙もないと、兄弟書簡の全体像が見えない。
1冊の本として纏め、兄弟の送信と返信を相互に編んではダメなのか?
まあいい。
 
さて、問題の下巻だが、ゴーギャンのアルル到着以前は、一貫して美術論や毎日の仕事、生活内容、そして金銭、画材の要求と中巻とさほど変わりはない。
ゴーギャンの到着は第557信、つまり1888年10月20日
それからというもの二人はデッサンに写生にと大いに活動し、ゴーギャンも度々テオに手紙を送っているらしいことがゴッホの手紙から読み取れる。
しかし第565信(12月23日)になると急にこんな記述が。
 
ゴーギャンはこのアルルの町にも、われわれが仕事をしている黄色の家にも、ことにこの僕に、いくらか失望しているようだ」
 
「結局は、ゴーギャンがきっぱりとここを去るか、それとも残るか、そのどちらかになるわけだ」
 
記録によるとゴッホの耳切り事件は12月23日、まさに当夜起きたことになる。
続く第566信(1889年1月1日)では、いきなり入院生活になっているが途中経過がない。
それもそのはず、24日にゴーギャンは電報でテオをアルルに呼び寄せ自身はパリに帰った。
ということは二人の共同生活は僅か二か月余、要は気が合わなかったのでは。
第573信。
 
ゴーギャンの出発がどれほどひどいものだったか、君もはっきり理解出来るとおもう」
 
とテオに送っているが、その詳細については結局どこにも触れていない。
精神病院への入院は1889年5月8日。
書簡では外人部隊への入隊を志願したいと言っている。
5年程入隊すれば自分の病気も治るだろうと。
勿論、入隊は適わず最期まで絵筆を捨てることはなかったが再三、発作と再発を恐れている。
 
「我々と同じ天職に携わる大勢の者が発狂して死んだことを思えば、なんだか失望してしまう。僕もそんな状態に陥っているとは夢にも想像しなかった」
 
なんだか胸を抉る言葉だ。
 
「僕は人の生涯は麦の生涯のような気がして仕方がない。もし芽を出すために地に蒔かれなかったら、どうなるだろう、粉にされてパンになってしまう。
幸運と不運の違いだ!
双方とも必要だし、有用でもあり、死とか消滅も同じように関連があるし人生も無論だ」
 
第652信。
自殺を図ったとされるその日、1890年7月27日に未投函の手紙、だが自殺を仄めかす記述はなかった。
テオの悲嘆は如何ばかりか。
最後に、第644信の日付は7月24日となっているのが、第651信は7月23日、どういうわけだ?
 
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