放送禁止歌 森達也

 
1999年5月23日、放送禁止歌~唄っているのは誰? 規制するのは誰?』というドキュメンタリー番組があったらしいが私は見てない。
その番組を制作したのが著者で再放送があったら是非見たいものだ。
著者は樺美知子さんが死亡した1960年6月15日当時4歳だったというから本書が発売された2000年7月には44歳ということか?
 
60年代後半から70年代前半、フォーク全盛期にはメッセージ性の強い曲が次々に発売され次々に放送禁止になった時代でもあるが、それを誰がどう判断してお蔵入りにさせたのか追及していくような内容で、私の年代はぎりぎり寸前、以下のような曲を記憶する世代ではないかと思う。
 
岡林信康『手紙』『チューリップのアップリケ』
赤い鳥『竹田の子守唄
泉谷しげる『戦争小唄』
丸山明宏『ヨイトマケの唄
 
これらの歌は、なぜ放送されなくなったのか?
「放送しない」根拠は?
規制したのは誰なのか?
著者は、歌手、テレビ局、民放連、部落解放同盟へとインタビューを重ね、闇に消えた放送禁止歌に迫るノンフィクションだが知らないことが多すぎた。
上記以外で放送禁止用語に引っ掛かった歌詞も記載しておく。
 
六文銭『街と飛行船』
「まま子」「みなし児」
 
ジャックス『からっぽの世界』
「唖」
 
丸山明宏『ヨイトマケの唄
「土方」
 
更に美空ひばり『びっこの七面鳥加山雄三びっこの子犬』もタイトルが駄目。
支那の夜』も当然引っ掛かる。
これらを言葉狩りととるかどうかは判断の分かれるところだが著者にインタビューを受けたなぎら健壱はこのように言っている。
 
「結局、言葉には罪はないんだよね。使う人の意識の問題なんですよ」
 
ところで、私も若い頃はギターを爪弾き『竹田の子守歌』などを歌ったものだが、その『竹田の子守歌』や『五木の子守唄』などが被差別部落を歌ったものとして放送禁止の烙印を押されたとは当時知らなかったし、この話しも聞いたような聞かないような。
この曲が世に出たのは赤い鳥のリーダー後藤悦治郎が竹田のお年寄りから採譜したものをアレンジしたらしいが原曲とはかなりの相違があり規制に引っ掛かたのは「在所」らしい。
 
♪ はよも 行きたや この在所こえて
 
「こえて」をどう解釈するかによるが「在所」を「部落」と解釈する意味合いもあるとか。
しかし、当の赤い鳥もメディアもそんなことは知らずに曲は全国に流れた。
元々、竹田部落は秀吉による伏見城下町建設の折りに、七瀬川高瀬川の合流地域であるこの地に作られた集落が、竹田部落の発祥で以来、数百年差別されてきたことになる。
 
本作には敢えて「穢多・非人」という言葉が出てくるが、私も中学時代には歴史の科目で、その意味について習ったことがある。
勿論、差別を助長するのが目的ではなく現在でも、それらの風潮は根強く残っているということからで、ある日、全校生徒を講堂に集め『橋のない川』を鑑賞させられたが忘れられない名作で強く印象に残っている。
 
ともあれ『竹田の子守歌』は解放同盟、『悲惨の戦い』は相撲協会、『自衛隊に這入ろう』は自衛隊などから圧力があったように思われているが、実際にはそのようなことはなく慄いたメディアが自主規制したように書かれている。
性表現の規制も多い。
 
しおふき小唄』
『時には娼婦のように』
『極めつけ!お万の方』
原由子が歌った『I LOVE YOU はひとりごと』『かごめかごめ』『通りゃんせ』も部落問題に抵触したらしい。
 
放送禁止歌とは便宜上の言葉で正しくは要注意歌謡曲というらしいが、その要注意歌謡曲一覧は1983年版を最後に更新されることはなく、どうりで近年は放送禁止の曲がない思ったら、そういうことだったのだ。
歌詞やヌードなど規制が緩くなったのは時代の変化に合わせたということだろう。

ところでこんな話も載っている。
昔、オジー・オズボーン在籍のブラック・サバスというハードロック・グルプがあったが、彼らのグループ名が規制の対象になったという。
ブラック・サバスが部落差別と聞こえるとか。
20代の頃、私も彼らのライブを見に行ったことがあるが、そんな空耳アワーみたいなことは考えてもみなかったが。
因みにオジー・オズボーンは脱退し代わりにロニー・ジェームス・ディオが加入していた。
 
一読するに、どうも作詞者の側には差別意識があったわけではなく、当初よりここまで問題が大きくなっていくとは思っていなかったようだが、それは当然だろう。
しかし、あまり言葉に過敏になり過ぎる時代にはそれなりの問題もあるような気がするが、さてどうなんだろうか。
今日のように当たりさわりのないような歌詞ばかりが持て囃される時代は、これはこれで良しとした方がいいのか?
 

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