愛に恋

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ヴォルガの舟ひき イリヤ・レーピン

 
イリヤ・レーピンといっても日本での知名度はどの程度のものか知らない。
しかし、解説にはこのようにある。
 
ロシアの画家のうち誰ひとりとして、レーピンほどの栄光を生前に得た人はいないと言われ、その美術界における地位は、文学界のレフ・トルストイに比せられる。
 
また、無類の文筆好きで、巧みな文章家でもあったとあるが、さもありなん。
でなければ、これ程長大なものを書けるはずがない。
それ故、私も手に取ってみたのだが、これが結構、骨が折れる。
ア行からワ行まで、その登場人物の多さと長ったらしい地名の煩雑さと言ったらない。
翻訳する方もする方なら読む方も読む方だ!
だが『ヴォルガの舟ひき』のみならずレーピン作品に魅せられ読まずにおれなかった。
 
 
『トルコのスルタンへ手紙を書くサポロージャ・コサック』
 
 
『帝国枢密院設立100周年の儀礼
 
目を見張るのは『ヴォルガの舟ひき』を始め、レーピンが画く絵は静止画ではなく動画を写生している点で、一体、どのようにしてこれらの絵を描いたのだろうか。
風景画や肖像画なら対象が動かないわけだから書き易い。
その信じられない技量の画家に著書があると聞いては多少の難儀もなんのその、覚悟の上で本書に取り組んだが、まあ、あまり他人様にお薦めの本とは言えない。
 
ともあれ興味だけは深々。
ロシア絵画なんて言われても詳しくないのだが、レーピンの属した移動派というのは擬古典主義以外認めない美術アカデミーの学則に反発する形で出来た集団と捉えればいいのだろうか。
1865年の時点では、このように考えられていた。
 
確かに学問だけが奴隷の状態から解放することが出来るんですよ。福音書にあるでしょ。
「真理を認識せよ、さらば真理が汝を解き放たん」って。
今、我が国の芸術はアカデミーの奴隷になっていて、そのアカデミーはまた西ヨーロッパの芸術の奴隷になっているのですね。
 
そこで立ち上がったのがクラムスコイなる人物で美術家クラブを創設し、これにレーピンも参加したということか。
因みに当時の帝室美術アカデミーの終業課程は6年。
特殊科目以外に教養科目として。
物理、化学、世界史、ロシア文学、心理学、教会史、修身とあるが、まあ、難しいことは分からない。
それよりも、タイトルにもなっている「舟ひき」を初めてネワ川で見たときの興奮が興味深い。
 
「あそこに動いて来るものは何だろう」
と私はサヴィツキーに尋ねた。
「ほら、あの黒っぽい薄汚いもの、茶色のしみのような、我らの太陽に向かって這って来る」
「ああ、あれは引綱で帆舟を引っ張る舟ひきたちだよ」
 
サヴィツキーとは画家の友人。
 
「だが、いったいなんて恐ろしいことだろう。人間が家畜の役をさせられている」
 
その体験を基に資金を集めヴォルガまでの長旅を経て実際の舟ひきを写生したというわけだが、この絵にはカーニンというモデルがいるらしい。
 
 
太い革ひもを荷舟に繋ぎ、その中に胸を入れて、両手をだらりとぶら下げ、もたれかかる。
 
とあるので、手前2番目のぐっと腰をかがめている人物と思われる。
今日的に見れば絶賛されて然るべき絵だが当時の保守層からは酷く非難されたようだ。
だが、この絵はヴラジミール・アレキサンドロヴィッチ大公の注文で描かれたもので、ドストエフスキーも『作家の日記』の中で、極めて高い賛辞を述べたと誇らしげに言っている。
 
制作年月日が1870年~73年とあるので1844年生まれのレーピンはまだ20代後半ということか。
まさに天才児。
しかし、19世紀のロシア芸術は素晴らしい!
 
チエーホフ
 
トルストイとは友達で下のムソルグスキー肖像画などは特に有名。
 

 

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