タイトルに惹かれてつい買ってしまった。
自由律俳句、散文、写真という構成から成り立っている。
自由律俳句というと種田山頭火と尾崎放哉を思い浮かべるが個人的にはどうも馴染めない。
五七五に捉われなくてもよい句だが、どうしてこういう発想になったのだろうか。
たとえばこんな。
そもそも砂利をしくという発想が失敗だったんじゃないか
信長と同じ手相を持つ定食屋の主人
潰れてた日本一上手いという看板を残して
どうだろうか?
解説を書いている某大学教授は以下の句を気に入っているとか。
風呂桶の中で膝ばかり見る
う~ん、一見、これではいくらでも出来てしまうような句だが。
感性の違いか、ほとんど何も残らなかったという読後感で終わってしまった。
ただ以下の記述には興味を持つ。
即ちそれは又吉が住んでいるアパートの番地に他ならないと。
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