居眠り狂志郎の遅読の薦め

喰う寝る読むだけの素浪人です

ノモンハン秘史 新書版

 
昭和陸軍に無数に存在したはずの将校団で、今日、その名を世に知らしめている軍人は意外と少ない。
東條大将を除けば、石原高級参謀と辻参謀の名は戦史に刻まれ永久に語られる人物として名高いものがあろう。
今回読んだ本の著者は、関東軍時代の辻政信が少佐時代に体験した、あのノモンハン事件を書いているが、さすがにあまり理解出来なかった。
藤田嗣治の作品に『哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘』という絵があるが、その最前線に立っていたのが辻政信だ。
 
作戦の神様と言われた辻参謀に対する私のイメージはあまりよくないのだが、一読した結果、評価が変わったかと言われれば、やはり分らないというしかない。
今回の本には直接関係はないが、その後の辻参謀の経歴を見て思うのは常に独断専行の態度が頭から離れないが果たして私の間違いなのであろうか。
マレー作戦、フィリピン、ポートモレスビーガダルカナルビルマ戦線と辻の行く所、常に膨大な死者が出る。
 
ともあれ、ノモンハン事件である。
通説では圧倒的に優れたソ連の機械化部隊と戦った日本軍は、貧弱な装備ゆえに肉弾攻撃を挑み、前代未聞の敗退を重ねたように言われ関東軍の中にも責任をとって自決した将校が何人か出たということを漏れ聞いているが、どうも最近の調査では実情は違うという説もあるらしい。
例えばこういう数字がある。
 
ソ連軍死傷者 25,565名
日本軍死傷者 17,405名
 
ソ連軍の進んだ機械化部隊というものも嘘。
実は走行射撃も出来ない低レベルで、日本軍の高性能の連射砲、高射砲の標的になりソ連戦車の損害は800台、日本戦車は29台とあるが本当だろうか。
写真でみる限り、日本軍戦車はタンクという名に相応しく砲塔も短く威力もなさそうなのだが実は違うのか。
事件が起こった昭和14年5月13日、辻はこんなことを書いている。
 
幕僚中誰一人ノモンハンの地名を知っているものはいない。眼を皿のようにし、拡大鏡を以って、ハイラル南方外蒙との境界付近で、漸くノモンハンの地名をさがし出した。おそらく蒙古民族の牧草集落であろう。
 
イメージ 1

とにかく一面、牧草地帯で見渡す限り遮蔽物のない大地。
飲料水に乏しく、気温の寒暖差が凄まじい場所らしいが、私も一度、ノモンハンを扱った番組でその場所を見たことがあるが、何しろ隠れるところがない。
 
更に読み手の私としては全く地理的なことが分らないので、やはりこの手の本は作戦参加者、または研究者向きの本だということはよく分った。
分らないながらも読み進めていくと、どうやら国境線の定まらないモンゴルと満州に於いて頻繁に続発するソ連軍の越境事件に対し関東軍は、その本拠地となっている相手方の空軍基地など本格的に叩いておきたい意志があるようで、それに対し東京の参謀本部との齟齬が原因でかなり関東軍参謀は激情に駆られている。
この時期、盛んに言われた関東軍の独立問題とはこの頃の事を指すのだろうか。
 
7月になるとソ連軍は戦備を全正面に強化、ここに至って関東軍は遂にソ連軍と全面戦争を覚悟したようで総長、大臣宛に関東軍司令官の名で電報が打たれた。
 
一、情勢に鑑み軍は満州防衛の完璧を期すため、全満に戦時防空を下令し、且隷下全部隊に応急派兵を下令す
 
ニ、敵の跳梁をこのまま看過するときは更に満州国の中枢部に対し爆撃を受くるの虞れなきに非ず。軍が単に越境敵機のみを迎撃する結果、此の如く軽侮せるるに至れり。即時外蒙内部に対する爆撃を許可されたし。
 
これに対する参謀本部の答えは。
 
本事件の処理の方針たる局地解決の主義に照し、隠忍すべく、且隠忍し得るものと考えあり。
 
つまり、参謀本部は何があっても挑発にのらず、あくまでも局地的に解決すべしという方針で、それに対し関東軍は、そのような弱腰だから、いつまでも際限なく国境問題など解決しないのだと業を煮やしている。
更に連日の激戦で多くの死傷者を出し、このままおめおめと引き下がれるかという興奮が読み取れる。
辻参謀は書く。
 
かくて中央部と出先、東京と新京とは、到底融和一致して事件を処理する曙光さえ見出し得なくなった。
 
関東軍の総意は以下のようなもの。
 
ノモンハン事件の処理に当たっては越境したソ連軍に徹底的打撃を与えることが肝要で、これによって初めて対ソ紛争不拡大を期し得るものである。もしこの事件で軟弱な態度を示したならば戦面は拡大するであろう。
 
しかし、敵機本拠地を急襲したいと具申するも相手にされず。
その後、独ソ不可侵条約の提携により平沼内閣は総辞職。
日本にとっては寝耳に水の独ソ接近だった。
替わって登場した陸軍大将阿部信行内閣の誕生は昭和14年8月30日。
第二次大戦が差し迫っている。
日ソ間では停戦協定が結ばれ、陸軍の伝統的仮想敵国であったソ連に対しての北進論が弱まり海軍に引き摺られるように南進論が台頭。
運命の岐路でしたね。
 
大戦勃発、独ソ戦真珠湾、今でもよく言われることだが、もしあの時、北進論が優勢なら大戦の推移は大きく変わったことだろう。
 
 
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