愛に恋

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出世の石段

愛宕神社に上がる急な石段は「出世の石段」と呼ばれている。その由来は講談で有名な「寛永馬術」の中の曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の故事にちなみ、時は寛永11年、江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。折しも春、愛宕山には源平の梅が満開。家光公は、その梅を目にされ、 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられました。しかしこの愛宕山の石段はとても急勾配。歩いてのぼり降りをするのすら、ちょっと勇気が必要なのに、馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落としそう。家臣たちは、みな一様に下を向いております。そこに名乗り出たのが曲垣平九郎だったというわけでした。時は下り、戦前の名馬、陸軍参謀本部所属「平形号」当時8歳。平形号は廃馬、殺処分の決定がなされていた。愛馬との別れを惜しんだ参謀本部馬丁の岩木利夫は最後の花道として愛宕神社の「出世の階段」の騎乗登頂に挑戦する。大正14年のことです。