愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

もひとつ ま・く・ら 柳家 小三治  

小三治という人は小沢昭一永六輔と仲が良かったようだが、これはいい組み合わせだと思う。3人とも職業は違うが書いたり喋ったりを生業としている。先日の再掲として、私に出来ない職業は「声優と落語家、またはナレーションや朗読」が大の苦手。先日、古今亭志ん朝の『鬼平犯科帳』の朗読をまるまる1時間聞いたが、いや~実にお見事なもので、アナウンサー顔負けというぐらいの名人芸だった。まさに天才で、これはシリーズもので何話かあるらしい。小三治に朗読があるかどうかは知らないが、「まくら」というのはどうなんだろう、この人の場合、家を出なしに新聞で読んだものやニュースで聞いたものなど引っき回し、強引に引き延ばし、壺にきたところで笑いを一発かますとでもいう塩梅か。まくらにしては少し長いようなものもあるが、戦中の生まれとあって、やや老いの一徹のような哲学がある。そういう考えも今のような世には必要なんだろう。いつだったかゴールデンウイークの時期に、家族二台の車でサファリパークに行って、後ろの車に乗っていた祖母が、あまり孫が泣くので、前に乗る娘に孫を抱いて外に出たところをトラに襲われ死んだことがあった。つまり小三治が言うには、「車の外に出ないでください」「ここは猛獣が住む区域です」なんてわざわざ書かなくても、そもそも大の大人がサファリパークに来て、危険地域で車外に出ること自体がおかしいという考えかたなのだ。柵の中に穴が開いているとする、子供というのはどうしたって悪戯好き。何とか柵の中に入ろうとする、そして落ちる。すると親が市を相手取って訴訟を起こす。小三治に言わせると柵なんか取っ払って、札書きに「落ちたきゃどうぞ」と書いておけばいいというわけだ。そうすると誰も近くに寄り付かなくなる。確かに、要は戦後の日本人は過保護過ぎるというわけだ。同感だ。