愛に恋

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「ムーンライト・セレナーデ」 瀬戸内晴美時代の文学放浪記

私はしゃがみこんで草をぬき、ハンカチで埃っぽい墓を潔めた。左隣に鴎外の妻のしげ女の墓もよりそっていた。太宰の墓から紫陽花をとりわけ、鴎外の墓に供えた。太宰の霊が見ているなら、私の行為を喜ぶだろう。正直いって、私は鴎外の文学を太宰のそれより遙かに敬愛していた。彫金のような鴎外の文学に強く憧れていた。十何年か前、田舎の女学生だった私は、太宰の「女学生」を読みはじめて、たちまち魅せられた。しかし、三十に手がとどこうという私には、もはや太宰の小説は「好きだったこともある」という過去形になった。三島由紀夫のきらきらした眩しい才能に幻惑され、まるで女学生のような他愛ないファンレターなど、せっせと送ったりした。ある朝、縁側に投げ込まれた封書を見た。太宰という字を見ただけで、吐き気をもよおす、文章も顔も声もみんな大嫌いです。せいぜい鴎外先生の墓参りだけはしてくださいという意味の、歯切れのいい文章と大きな字が躍っていた。「ムーンライト・セレナーデ」のお時間です。これは昭和53年ころの瀬戸内寂聴が書いた文章である。それより以前、確か昭和30年代だったと思うが、尊敬する谷崎潤一郎を紹介してほしいと舟橋誠一に頼んで邸宅に連れていってもらったあことがあるはず。瀬戸内晴美時代の文学放浪記だね。おやすみなさい、また明日。