明治3年三井物産初代社長益田孝22歳
大正六年だったか、旧大名家の佐竹氏から財政難で売りに出されたのを切っ掛けに、それまで何百年も所在が分からなかった、三十六歌仙絵巻が世に出たのは。
現在の価格で35億円とも言われる絵巻の売却先を、佐竹氏から依頼された美術商たちは、鈍翁と号した経済界の大物益田孝に相談を持ち掛ける。
あまりの高額に苦慮した鈍翁は思わぬ奇策に打って出る。
三十六歌仙絵巻の切断。
鈍翁によって集められた経済界の重鎮たちが、切断された絵をくじ引きによって誰がどの絵を買うか決め、持ち帰った人たちは、それを掛軸として作り直すことにより、新たな芸術作品として現在に至っていると。
なるほど、今まで三十六歌仙絵巻がどうして切断されたか知らなかったが、そういう訳だったんですね。
因みに正しくは切断ではなく、職人によってもともと一枚ずつ組み合わされて作られた絵巻を剥がし、分割しただけのことらしい。
切断なんて大袈裟なことをいうからビックリしてしまう。
鈍翁は、このまま買い手がなければ、その当時盛んだった美術品の海外流出にも成り兼ねないと悩み、それを避けるための策だったとも伝えられているとか。