愛に恋

    読んだり・見たり・聴いたり!

スーザン・ヘイワード part.2 

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1947年

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スーザンさん、残念ながら余程の映画ファンでないかぎり貴女のことを覚えている日本人はいないと思います。

然し私は貴女が美人女優だったことをしっかり覚えてますよ。

それを伝えるように、今でも写真は不滅の輝きを放っています。

貴女が出演した映画が若い人にも見られるといいですね。

まあ、往年のハリウッド女優なんか興味がないのが今の時代かも知れませんが。

私とて、貴女から見れば親子以上の年齢差があるわけですが、実は、何を始めに見たのかはよく覚えていません。

スーザンさん、お墓参りにも行けなくて申し訳ありませんが、今は、安らかに眠っていることでしょうね。

ポール・セザンヌ Part.5 

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《パンと卵のある静物》(1865年)シンシナティ美術館

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《レヴェヌマン紙を読む画家の父》(1866年)ワシントン・ナショナル・ギャラリー 

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《サンタンリ村から見たマルセイユ湾》(1877-1879年頃)山形美術館

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《ひび割れの家)(1892 - 1894年)

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《パレットのある自画像》(1890年)ビュールレ・コレクション

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アンブロワーズ・ヴォラール》(1899年)プティ・パレ美術館

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《開き戸棚の静物(白と黒の静物》(1867-1869年)オルセー美術館

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《ジャ・ド・ブッファンのマロニエの木(ジャ・ド・ブッファンのセイヨウトチノキ)》(1885年)ヴィンタートゥール美術館

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《3つの骸骨》(1900年)3つの骸骨

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 《シャトー・ノワールの大地》(1900-1904年)ロンドン・ナショナル・ギャラリー

セザンヌさん、こうやっていろんな画家の絵を見ていると、なんだか私も絵描きになってみたいような気持になってきます。

然し、小説家と違って画家の場合は作品が一点ものですよね。

どうしても印税なんか考えてしまうのですよ。

絵が億で売れればいいですよ、どうなんでしょうかねこのあたり。

えっ、何?

捕らぬ狸の皮算用だって、ご名答、確かに、才能もないのに何言うとるんやってか。

そうなんですよね、だからこうやってアナタ方有名な絵描きの作品を見て、渇きを癒しているわけでして。

エンニオ・モリコーネ、ご逝去。

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この人に関しては今まで何度か書いてきたが、それもそのはず、私にとっては現代音楽の最高峰にしてイタリア芸術の至宝だと思っている。

モリコーネサウンドを知ったのは古い話で、確か1968年の正月映画だったと思うが、まだ子供の私はお金を握りしめ独り入場券を買って、座席にチョコンと座り、クリント・イーストウッドのヒット作ともなった『夕日のガンマン』見て、酷く音楽に関心したものだった。

で、早速レコードを買い、幾たびか視聴するうちにすっかりモリコーネ・ファンになってしまった。

そして念願だった日本公演が叶い、2004年の日本公演、これを逃したら、もう二度と見ることが出来ないと思いフェスティバルホールへ馳せ参じたわけで。

最後の巨匠とでもいうか、ニーロ・ロータかモリコーネかってなもんで、巨星墜つとはこのことですね。

数ある名曲の中でも、私の感性を揺さぶり長い間、心の襞から離れることなく懇ろに弔うように寄り添う楽曲、何と素晴らしい国宝級の曲だと思っています。

セルジオ・レオーネ監督の『ウェスタン』から「Once upon a time in the West」、少し長いですが、良かれと思う人は聴いて下さい。


Ennio Morricone - Man with a harmonica (Once upon a time in the West)

続いて!


Once Upon a Time in the West | Claudia Couwenbergh

心よりご冥福をお祈り申し上げます。 

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ヘンリー・フォンダ

エレーヌ・ベールの日記 エレーヌ・ベール

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この日記の存在を最近まで知らなかった。

アンネの日記』との違いは、一室に閉じ困って隠れているのとは違い、エレーヌ・ベールはドイツ軍占領下のパリで、ユダヤ人証明の腕章を付けていれば、それなりに自由行動が許されていた点だろうか。

ソルボンヌ大学に通い、婚約者もいたが、知っての通り、敗北したフランスは二分割され、ドイツ軍直接統治の軍政と、ペタン元帥率いるヴィシー政府に分かれていた。

戦後問題になったのは、フランス警察がドイツに協力して、ユダヤ人狩りに加担したこで、例えば1942年7月16・17日にヴィル・ディヴの一斉検挙と呼ばれるものでは、ドイツ軍の要求に応え、フランス政府は占領地帯、非占領地帯の双方で、外国籍ユダヤ人の大々的な一斉検挙に踏み切った。

こうした中で、パリのユダヤ人民間団体は、一斉検挙が切迫していることを知るが、エレーヌ・ベールはフランス国籍だったことから、当面は逮捕を免れたが、一体どのようなことが起きるのか想像しただけでも恐い。

これより先の、7月9日、ドイツ軍による第9号政令には。

 

興業施設、劇場、映画、美術館、図書館、競技場、プール、公演、レストラン、ティ-サロンにユダヤ人は行くことを禁じられ、商店には15時から16時までしか入ることができなくなった。

これでは散歩以外することがない、幸い学校とは書いていないのでエレーヌは大学に通うことは出来たようで、続けて10月27日水曜日の記述に。

 

月曜の朝、まったく何の「理由」もなく、ボーマルシェ大通りで25家族が逮捕された。アパルトマンの入口の扉はただちに封印された。もしここがそうなった場合には、私のヴァイオリンと、ジャンからの手紙とこの日記を入れた赤い紙ばさみ、そして今まで手放すことができなかった何冊かの本を救い出したい。

 

ジャンというのは婚約者のことで、彼は密かにスペインを超え北アフリカに渡り、ドゴール率いる自由フランス軍に入隊しフランス解放を目指していた。

43年12月27日の日記は長いく、末尾にはこのように書いている。

 

22歳で、自分の中に感じるすべての可能性が不意に失われるかもしれないという自覚する人間は、たくさんいるのだろうか? 私は自分の中に巨大な可能性を感じていると言うことに、少しもためらいを感じない。それは自分の所有物ではなくて、与えられたものだと思うから。

 

私が再び明るいところに、ジャンが帰ってきたところに出られる瞬間と、今の私のあいだには、底知れない黒い通路がある気がする。というのも、ジャンの帰還は、わたし自身の復活となるだけでなく、幸福の復興、みんなの幸福の復活のシンボルになるから、わたしの側には強制収容所があり、ジャンのほうにもたくさんの危険が待ち受けてにる。

 

1944年2月14日

「わたしはずっとアンドレの家に、両親はロワズレの家に泊まっている。毎晩、家を出るとき、やっぱりうちで夜を過ごそうか、という議論を蒸し返したくなる。ただ、もう疲れたという思い。うちで夜を過ごしたい、自分のベッドで眠りたいという誘惑のせいで、既に検討した意義が表面に浮かび上がってくるけど、それは意図的に却下される」

 

3月7日、ベール一家は自宅に戻ることを決意、その翌日8日の朝、7時半に彼らは逮捕され、3月27日、彼女の23歳の誕生日に両親と共にアウシュビッツに強制移送された。

自宅に帰る決断が間違っていたわけだが、知人の家を転々と移り住むのにも疲れていたのだろう。

この日記は彼女が逮捕された場合、ベール家の料理人、アンドレ・バルディオに託し、婚約者のジャン・モラヴィエキに渡すよう依頼されていたもので、たまたま、ベール家の人たちが逮捕された朝、その場にアンドレは居合わせた。

彼女の最期がどのようなものであったか証言がある。

 

収容所がイギリス軍によって解放される5日前の朝、チフスにかかったエレーヌは、点呼のときに起き上がれなかった。彼女は看守のひとりに殴り殺された。仲間たちが戻ってきたとき、彼女は床の上に横たわっていた。そのとき、エレーヌの中に残っていた生命の炎は消えた。

 

大戦中、フランスから強制収容所に送られて死亡した人は、実に76,000人。

このような恐怖はいくら本で読んでも、やはり実体験がなければ正確には伝わらない。

私の生誕からそう遠くない昔、嘘のような話が実際にあったかと思うと、常に考えさせられるのは、今でこそ文明社会は平和を保っているが、いざ、世界大戦ともなれば人間の持つ残酷さ、人間の狂気が爆発し、過去の轍を踏むようなことがまた起きるのか。

戦後も各地で起きた残虐行為、本来、人間にはそのような行為に走る非人道的な維持装置が備わっているのではないかと疑いたくなる。

過去のあらゆる拷問、処刑方法などを見るに、そのおぞましい行為を行ったのも人間だから。

話が長くなったがエレーヌは大変な読書家で、文末に期間中、読んだ本が記載されている。

例えば『チボー家の人々』を読んで、「芸術の素晴らしさは、その激しさにある」と記しているが、その通りだろう。

最後に43年11月30日の日記を記しておく。

 

私たちが確実にもつことのできる魂の不死の経験とは、生きている者たちのあいだに持続される死者の思い出だ。  

ジーン・ティアニー part.2 

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1947年

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1942年

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1941年

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1945年

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1945年

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ティアニーさん、貴女、本当に美人ですね。

貴女を見ていると、まるで化粧品のコマーシャルのような感じがします。

素肌自慢、ティアニーの季節がやって来た。 

貴女さえその気なら、私、考え直してもいいですよ。

読書をする女 Part.6 

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Marc Chalmé

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Petrus van Schendel

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ウリッセカプート 《開いた窓で読む若い女性 》

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クリスチャン・クローグ

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Willem Geetes

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František Dvořák

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エドワード・ホッパー

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Stelios Petroulakis

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Henrik Nordenberg - Woman Reading

どういう訳か、このシリーズは女性が多い。

女性の方が華があるからだろうか。

みなさん、思いおもいの恰好で読書をしている。

時の流れが緩やかですね、私も本読み端くれ、誰か描いてくれないだろうか。

ジェーン・マンスフィールド Part2 

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 1957年、スウェーデンストックホルム

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分かりました、わかりました、おそらく貴女がハリウッド史上、尤もグラマーな女優だと思いますよ。

然しね、貴女みたいな女性は男性にとっては悩ましいばかりで罪作りな存在なんですよ。

私は幸いにも未だ貴女を見たことがありませんから、その魔の手から逃れていますが、どうして西洋人やアフリカ系の女性は、そう何もかもが大きいのですか。

大きいだけならともかく、それを見せ付けるでしょ!

日本の女性は殆どが扁平尻で見栄えも乏しいですが、貴女だちは見るも見事な出っ尻。

それをまた強調して敢えて男性を挑発するから嫌になっちゃう。

この風呂場の写真は誰が撮ったんですか、一度、私に撮らせてくれるなら話は別ですけどね。