愛の手紙―文学者の様々な愛のかたち
オットー・ディックス 1891年12月2日 - 1969年7月25日 (77歳)
1933年
《ジャーナリスト、シルヴィア・フォン・ハルデンの肖像》
《マッチセラー》(1920年)
《売春婦1》
《死の勝利》(1934)
《負傷兵》
《銃殺》
新即物主義の画家、よく分からないが絵は面白い。
戦争の悲惨さ、第一次大戦後の頽廃したドイツの社会情勢をグロテスクに生々しく表現しているが、ナチ政権下では御多分に洩れず退廃芸術の烙印を押されてしまった。
戦後日本でも戦争協力者は公職追放になったが、同じようにドイツでも教職など公式な立場から追放され制作活動も禁じられるので、こうなっては国外に逃れるより他はない。
しかし、退廃時代の一面を担った絵画は訴えかけるものがあって存在感を増しているのだが、ナチの健康的なプロパガンダからは相反する芸術であることは一目瞭然だから仕方ないことか。
だが、このオッパイを持っているは何を意味しているのだろうか。
漱石山房の記 内田百閒
湖の南 大津事件異聞 富岡多恵子
グロリア・スワンソン 1899年3月27日-1983年4月4日84歳
1922年
1920s
1923年
(1929年)
貴女でしたか、ケネディ大統領の父親でジョセフ・P・ケネディと不倫関係にあったという人は。
さすがに大物喰いですね!
しかし、一体貴女は何回結婚しているのですか?
数えてみると6回ですね、それ以外にも恋愛、火遊びなどありそうですから生涯人数はかなりの数になるのですか。
まあ、そんなことはいいです。
驚いたのは貴方の身長ですよ!
150㎝しかなかったんですか、とてもそんな風には見えません。
ところで週に100万ドル稼ぎ、100万ドル使うスターというのは本当ですか!
当時の100万ドルといったら凄いでしょ。
桁外れな女優さんだったんですね。
グロリアさん、しかし貴女の若い頃の目は獲物を狙うような獰猛な眼差しですよね。
その目で一度私を捉えて欲しかった。
なんなら7番目の夫でも良かったんでしすよ。
話は変わりますが貴女が書いた自伝ね、あれ何とかなりませんかね。
重たくて持ち運ぶに不便で買うに買えません。
文藝春秋から1994年に出て文庫化されてないということは、申し訳ありませんが売れなかったということですよ。
大体、今の時代、日本人で貴女を知っているひとなど居ません。
翻訳した人には敬意はを払いたいですが、おそらくこの先も文庫本が出ることはないと思いますが、その点は納得してくださいね。
私、私ね、興味はあります、だからといって読むとも読まないとも言えません。
とにかく、若かりし貴女の美貌には参りました。