歴史上の人物の日記というのは目的が二種類に分かれる。
後世、公になることを想定して書かれているものと、そうじゃないもの。
中には死後、破棄、焼却を遺言したにも関わらず、何らかの理由で遺族が遺したものもある。
しかし手紙やハガキ類はどうだろう。
妻や恋人に愛情溢れる文言を書き連ね、それが将来、まったく見ず知らずの他人に読まれるとあっては、聊か本人も照れ臭くはないだろうか。
近代文学を彩った文豪たちの書簡は、後世の私達にとっては貴重な作品でも、本来は窺い知れぬ私人としての一面を覗かせている。
本書は写真と共に手紙、ハガキ類をそのままに公開している。
例えば斉藤茂吉のこんな手紙。
「ふさ子さん!、ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。
何ともいへない、いい女体なのですか。
どうか大切にして、無理してはいけないとおもいます。
玉を大切にするやうにしたいのです。
ふさ子さん、なぜそんなにいいのですか」
この問いに対するふさ子の返信が読みたいものだ。
詩人、立原道造にはこんな記述がある。
9歳上の女性作家、若林つなが、死の1週間ほど前に見舞いに行った折、立原は彼女にこう言ったとか。
「五月のそよ風をゼリーにして持って来て下さい」
僅か24歳で他界した夭折の詩人。
残された写真は見るからに蒲柳の質そのままで、この青白い顔の青年にあと5年の命を与えることが出来たなら、如何な作品を残したであろうか。
縁も所縁ない私がそれら遺稿を読むことは、一生懸命に生きた彼等に対し少しは供養になるのだろうか?
立原道造のあの顔から一滴の涙を見たら堪りませんね。
本書は、そんな作家たちの愛の手紙。